大阪水曜ほっと集談会一世です。
疑いは我であり、まかせるのは理知!
今日のタイトルは森田博士からいただいた。
昨日は集談会であった。
いつもいろいろな気づきがある。
素直な人は立ち直りも早いし、自助グループでも好かれる。
それはとても喜ばしいことではあるが全ての人がそうではない。
私のように還暦まで我を張り続け心身が弱りようやく肩の力が抜けた人間もいる。
最近私はこう思っている。
誰もが自分は素直に振る舞いたいが、遺伝的な気質や過去のトラウマなどそうさせない何かがその人の中にあるのだろう。
行動のみでジャッジするのではなく、その人の見えない背景を想像する力を養いたい。
そこに少しでも焦点を当てなければいつまでたってもお互いの共感は得られないような気がする。
※今日の森田博士の言葉
そして疑いながら森田のいうとおりに実行する。
そのように疑いながら実行するのを私は従順といっています。
疑いは我であり、まかせるの理知であります。
この疑いと理知との対立がますます大きく、その間の争闘のますます盛んなのが、「大きな従順」であります。
疑うことなしに森田にまかせるのは盲従であり、迷信でありまして、新興宗教や素人療法のご利益を信ずるのと変りはありません。
疑いは我であり、まかせるのは理知、まかせきれないのも私、そう感じた一世です。
2024/10/17 一世