「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

1月15日(水)14時~・1月21日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会&新年会を開催します

終活と平常心!

2024年11月22日 08時04分27秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

朝からネガティブな話題で失礼します。

先日また一人関西の有名な芸人さんが亡くなった。

私と同じ60代で2歳しか変わらなかった。

また昨日お寺の行事で法話を聴いた。

お話をされた、これも同世代のお坊さんが、

明日から入院し半年間無菌室での生活が始まりますと言われた。

複雑な思いであった。

私たちの自助グループでも終活の話が時々出る。

なんとなく触れたくない話題ではある。

しかしながら死は100%訪れる。

よくよく考えてみれば、毎日が終活ではないか?

終活について考えることで日々を大切に生きることにつながるのではないか!

※今日の森田博士の言葉

(卒倒恐怖の患者に対して)

死はおそろしいし、腹が減ればひもじいにきまっています。

あなたの場合ならば電車にのれば卒倒するのではないかと、おそろしい。

それが平常心ではありませんか。

そもそも平常心というものはつくるものではなくて、あるものであります。

おそろしいならばおそろしいままの心、それがすなわち平常心であります。


2024/11/22 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意味よりも存在?

2024年11月20日 07時41分58秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

詩人の谷川俊太郎氏が亡くなった。

かつて若い頃二十億光年の孤独という言葉に離人症のような感覚を重ねてしまった私です。

氏の作品をわけがわからないといわれるあなたは、大人の眼でとらえているからです。

若い頃の私が、天才と感じた詩人は、学校という枠に収まりきらない為の不登校を経験されている。

私も一時期ではあるが不登校の経験があり、氏の自由な発想には、心惹かれるものがあった。

残念ながら天才ではない私は、サラリーマンに転じ、細々とブログを綴っています。

初老期を迎え今朝の新聞に掲載された氏の言葉に深く共感しましたのでご紹介致します。

以下毎日新聞本日の朝刊より

※老齢は私から肉体の自由な動きを奪いつつありますが、精神はその制限ゆえにかえって軽々と動けるようになっているのが不思議です。

※人の年齢を私は樹木の年輪の喩えで語るようにしているのですが、老齢にはその年輪の中心に向かう動きもあるようです。

※意味のある言葉とともに、 喃語ような脳とともに身体から生じる言葉、意味よりも存在そのものに触れる言葉を今の私は夢見ています。

私も還暦以降、身体の不自由を感じることが増えました。

しかしながら、森田療法の学びもあり心の自由を得ている気がします。

谷川俊太郎氏の言われる年輪の中心とは、何者でも無かった素の自分、原点ではないかと思われます。

最近私も、17才の頃の若い肉体ではなく、私の心そのものに戻りたいと思うのです。

小さな子供の会話にいつも心が癒され、子供は何もしなくても存在そのものが愛おしいと思うのです。

大人が忘れてしまった、意味よりも存在、それは私が今最も大切にしていることなのです。

言葉の魔術師は、いつまでも心の自由にこだわり自分の原点を忘れようとされなかったようですね。



2024.11.20一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想いよ届け!

2024年11月19日 12時42分44秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は、夜から大阪水曜ほっとリモート集談会です。

大雨が降ろうが、灼熱地獄の夏でもコロナでもインフルでも骨折しても毎月開催してきた。


さて朝から歯医者さんに行っていた。

歯が痛い、腰が痛い、背中が痛い、肩が痛い!

人間の臓器の耐久年数は、

50年と、聞いたことがある。

既に10年以上超えてしまった私はあちこち故障だらけである。

車に例えると、部品交換ができないポンコツ車両である。

アーンといわれて、ポカンと口を開けているとまるで自分が小学生になったような気持ちになった。

未だに私は自分が60代の初老を迎えたことが理解できない。

何かの間違いではないか?

叶うならば、もう一度小学生の自分に戻って亡き弟に会いたい。

今から思えば最低の兄であった。

今度は絶対に優しい兄になる。

この先、誰一人として評価されたいとは思わない。

けれど弟にだけは褒めてもらえるような人生を生きたい。

※今日の心に響く言葉

自分ができないことをできるようなふりをするのではなく、

できないことをできないと素直に認めて、そこからやり直していくのです。



2024/11/19 一世
※稲盛和夫氏
稲盛和夫−魂の言葉108宝島社より一部抜粋

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試練を機会としてとらえる!

2024年11月18日 07時01分29秒 | 集談会日記


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日のタイトルは、2022年90歳で逝去された、

稲森和夫氏の言葉を網羅した、

稲盛和夫−魂の言葉108から頂きました。

実業家というより仏教をベースにした思想家というイメージです。

人間にとって、成功でさえも試練なのです。

という言葉に惹かれ、とても尊敬しています。

そんな稲盛氏は試練についてこう述べられています。

以下

「試練を機会としてとらえることができる人−そういう人こそ、

限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。

私にも長きにわたるサラリーマン生活で言葉に出来ない悔しくて、惨めな、様々な試練がありました。

今もそれは、続いているです。

しかしながら、その苦しみが、

森田療法という自分を活かすための精神療法との本当の出会いを生み、

自分を人間として磨く研磨剤の役割をしていたことに今更ながら、気がつくのです。



2024/11/18 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未来は変えられる?

2024年11月17日 07時06分52秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

近年、AIの進化が止まりません。

人間の仕事をサポートするはずのAIによって、近い将来仕事を奪われる人々が出てくるとは、皮肉なものです。

私が子供の頃に見た手塚治氏がアニメの世界で50年以上前に描かれた人工知能と人類の戦いが既に始まっているようで不気味です。

人工知能にどんな意味づけをするかによって私たちの未来が随分かわることでしょう。

さて今日のテーマは、過去の経験への意味づけについてです。

同じ体験をしてもそれを失敗と考えるのか未来への投資と考えるかによって人生は随分違ったものになります。

アドラー心理学では過去の経験が私たちの何かを決定しているのではなく私たちが過去の経験にどのような意味を与えるかによって自らの生を決定していると考えるようです。

私たちは自分が行った意味づけによって未来を自分で選択し決定しているというのです。

つまり原因論ではなく目的論の考え方です。

森田療法はでも過去は問いません。

過去がどうであれ、今この瞬間を生きるのです。

あるがままというシンプルで、できるだけ自分の理屈や主観を排除してそれを否定したり抗わずにそのままでであることによりやがて感情が変化し流れると説きます。

両者に共通しているのは過去がこうであったから未来もそうであるという固定した考え方を遠ざけたことです。

今心の不安が永遠に続くと悲観されているあなた、本当にそうなのでしょうか?

未来は変えられるそう思いませんか?



2024.11.17 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする