Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

最初と最後 吸っている? 吐いている?

2011-07-31 | 想い・雑感
五木寛之氏が
人は息を吐いて生まれ 息を吸って死す
と書いている
これを初めて読んだのはもう10年以上前だと思うが
どうも納得がいかなかった

今日図書館から借りてきた本を読んでいて
久しぶりに上記の一文に再会したが
やはり違うように感じる

*** 人は息を吐いて生まれる ***

生まれ落ちた赤ちゃんが オギャー と泣くさまを
文学的に表現したのかもしれませんが
胎児の肺は肺胞が虚脱した状態にあるはずです
つまり生まれ落ちたとき肺の中に空気がないのです
そこから声を出そうとしたって声帯を震わせる空気がないのだから泣けるはずがない
だから生まれ落ちたとき
人はまず肺の中に空気を入れる つまり息を吸うはずです

そう 人は生まれてまず息を吸う はずだと思います

*** 息を吸って死す ***

亡くなりゆく人を見つめてこのような感想を持つのは理解できます
喘ぐような呼吸が続いたあと
息絶えたと思ったら
思い出したように首の筋肉を収縮させながら息を吸い込む動作をすることはよくあるからです

でも本当に吸気努力をしたあとに
取り込んだ空気を全く吐き出さずにいるのかどうか
気にして見ていてもはっきりしません

おそらく最後の呼?吸?動作ををしたあと呼吸筋が弛緩した状態に戻っていくでしょうから
弛緩した状態より胸腔が広がった状態になっていれば息を吐き出すでしょうし
胸腔が狭くなった状態で最後を迎えれば弛緩するにつれ息を吸うことになるのだと思います

実際に吸気動作をしたあとに
わずかな音を伴いながら
ゆっくりと取り入れた空気が外に漏れいでるところを見たことがあります

というわけで
最初の一文の真偽は 私に言わせれば真ではない 
となるのですが
どなたかスパっと答えて下さる方はいませんか

治る

2011-07-31 | 想い・雑感
 私たちは、「病気を治す」という言葉をよく使います。このとき、病気が治るというのはどういう状態をイメージしているのでしょうか。おそらく、病気がきれいさっぱり消え去り、元通りの元気な状態になることを想定していると思います。
 かぜ、ちょっとした怪我、肺炎その他、一過性の出来事でありうる病気ならばそのイメージ通りに治癒することは少なくありません。でもそんな病気ばかりではありません。
 特に、癌などのように(すべてのがんではありませんが)老と深く結びついた病です。老自体が不可避な現実である以上、老と一緒に現れた病もなかなか完治は困難です。そして、最後は病の先にある死と向き合う必要が出てきます。こうなってくると、病院だけで対応できる話ではなくなってきます。でもそこから目を逸らし、何となく病院に任せてしまっている場合が多いように感じます。一方、任されたところで病院だってその大役を果たせるはずもありません。
 時は一方向に流れ、もとには戻りません。病だって時と共に変化していくわけで、全く元通りになるわけではなく、何らかの影響を体に残して行っているはずです。病を得る機会があれば、ちょっと立ち止まって、いずれ行き着く出来事に対して考えてみるのも良いかもしれません。

知事発言が発端?

2011-07-31 | 想い・雑感
佐賀県知事の発言が
佐賀原発会見におけるヤラセの発端であるような記事が見られるが
違和感を感じる

まず
一方向の意見ばかりが出てくるとき
別の意見がないことに問題を感じるのは
正しい感性 見識 と思う

会議の議題に対し
全く異論の無いものは
ペンディングにするという方針の会社もあると聞く

全会一致を是とする考えは
集団を一方向に突き進ませる危険がある

別の意見もあったほうがよいと思い口に出した佐賀県知事の発言を
全国紙一面トップに載せる感性の方がおかしいと思う

次に
東電が関東経済会のドンならば
九電は九州のドンであろう
知事には失礼かもしれないが
その発言で右往左往するような会社ではないであろう

それに
やらせが常態化していたことは
これまでの報道でも明らかで
今回の発言が発端とするのはおかしいであろう

個人をスケープゴートのように引っ張りだし
それ見たことかとあげつらう
いじめっ子のようなメディア報道はいただけない

多くの国民は
「巨悪が眠っている 深くに隠れている」
と感じているというのに