Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

初めてのコーヒー

2008-05-17 | 想い・雑感
初めてコーヒーを飲んだのは
確か中学1~2年のとき
大学に通う姉が東京から帰省したときだったような気がする

サイフォンなるものを初めて見たときでもある

わずかに揺れるアルコールランプの炎が
徐々にフラスコの水を温めていき沸騰

フィルターを装着しコーヒーの粉を入れたロートをフラスコにしっかりと固定すると
少ししてフラスコ内の湯がロート内を駆け上がり
コーヒーの粉を踊らせる
また少しして今度は褐色のお湯が再びフラスコへと引き戻される

フラスコ内の内圧の上下で起こる単純な現象であることが理解できても
中学坊主は強烈に感激した

そして作られたコーヒーをわくわくしながら口に運んだ

え?
これ 飲み物?

しかし人間の味覚というものは面白いもので
数年後には
私の脳はコーヒーがおいしい飲み物であることを認識しはじめていた

いまではコーヒーの味も香りも大好きである



普段はデパートなどで購入するコーヒーを
今日は強烈なコーヒーの香りに満たされた小さな専門店で購入したために
思い出した光景でした

胴回り

2008-05-16 | 想い・雑感
自転車通勤をしてもちっとも疲れないことから見て
運動と呼べるほどのエネルギーを消費しているとは
とても思えないのだが
ウェストサイズがやや減少してきたようで
ベルトが少し緩くなった

そのときできるベルトに対する処置は

1:ベルトを少し切る…一般的
2:ベルトに穴を追加する…やや難

私は2を選択した
だって
また胴周りが増加に転じたとき
切ってしまっていると
対応ができないからね

わずかな交流だけど

2008-05-16 | 想い・雑感
もともと人と話をするのが好きなほうではなかった
寂しがり屋の面があるくせに
話しをするのはどちらかというと疲れた
一人きりは淋しく感じることがあっても
一人でいることが好きだった

外科医になっても
やはりお話しすることは得意ではなかった

ただ技術と知識が大切と考え努力はした

しかし癌で亡くなっていく人達を何度も見送るうち
その人たちの何を理解してあげられたのか
 ほとんど何も理解できずに
  ただ機械的に対応しているだけではないのか
と自分の在りように疑問を感じるようになった

少しずつ
話しかけるようになった
普通に人と話すときも構えてしまっていた私が
患者さんと話すといっても
そう簡単な話ではない

しかし話しかければ
それに何かが返ってくる
その人の人生や想い 考え方などが
ちょっぴり見えてくる

喜び 怒り 悲しみ 楽しみ 生きてきたその人が
かすかに見えてくる

そしてわずかな交流が生まれる

それがどうしたの?と言われれば何と答えて良いのかワカラナイが
医療の現場で必要な交流であると感じている

まだまだ不完全ではあるけれど
さらに一歩前に進んで行きたい

出会い

2008-05-15 | 想い・雑感
川沿いの道を自転車で走る
信号待ちの時
朝日に光る川面を眺めた

中程の小さな中州で
キラメキは左右に分かれ
また下流で出会う

今という時に
たまたま出会った水たち
どこをどういう風に旅してきたのか知らないが
それぞれの歴史があって
今眼前の川で出会っている

人との出会いの中で

もっと違うときに出会っていれば
早く出会っていれば
いまが違う状況ならば

などと考えることは
誰にでもあるだろう
でもいろいろな出来事の一つでも違っていたら
目の前の人と出会うことは決してなかったはず

出会えたことに
素直に感謝

今 を大切に

皆 認め合って

2008-05-12 | 想い・雑感
相対的評価を完全に捨て去ることは困難だが
あまり比較というものをしなくなって
生きることが随分楽になった

もともとわたしは俺は俺
というタイプだったのかもしれないが
様々な人間関係の中で
ますます比較することの虚しさが身にしみてきた

だからといって
人のことを蔑ろにするわけではない

俺はおれというスタンスが固まれば
だからこそ
人のありようも認めることができるようになる

そんなものでしょう

進歩していない

2008-05-11 | 想い・雑感
ギターを引っ張り出し
昔の曲をつま弾きながら
声に出して歌ってみる

その歌たちがはやっていた時代を
懐かしく思い出した

それとともに
若い頃に感じていた
生きる
ということに対する
もやもやした思いや気分
も何となく思い出してきた

さまざまな疑問を体内にため込み
悶々としていた時代がすぎ
なんとなく若い頃よりは分かったつもりで生きてきたが
心の内を見つめてみると
やはり何も分かっていないということに気がつく

日々の生活の中で
疑問を感じること自体を
忘れてしまっているようだ

変速機

2008-05-09 | 想い・雑感
自転車の変速機が
昔に比べて進化していた
以前は変速レバーが自転車のフレームについていたのだが
最近のものは手元(ハンドル)についている
じつに便利

学生時代は
自転車の前後に
テントも含めた荷物を固定し
自分の足で漕いでいたわけなので
少しでも足に負担がかからないように
こまめにギアをシフトしていた
そしてそのたびに
どちらかの手をハンドルから離す必要があったのだが
今の自転車はハンドルを握ったままで変速可能

路面の状態や傾斜具合に合わせて
細かくギア比を変えることによって
疲れ方がぜんぜん違う

必死になって漕ぐよりも
ギアチェンジである

自転車に乗るときは
自分にかかる負担を直接体に感じるのでわかりやすいが
精神的負担は自分で気づかないことがある

そのような負担にも少し耳を澄ませて
生き方のギアを細かく調節すれば
もっと楽に生きることができるのかもしれないが

その調節の仕方がいまひとつわからない

変速機自体は
恐らく心の中にあるのだろうが

しっかり見つめて

2008-05-08 | 想い・雑感
いよいよ人生の終焉を迎えるとき
病院で見送られる方は多いが
見送る場に
子供たちの姿を見ることは多くない

他の入院患者さんへの気配りもあるのだろうが
やはりその場に子供がいないというのは気になる

出会いと別れを繰り返す中で
愛しい人との永久の別れを経験し
深く哀しむ

その悲しみの中から
改めて生きる喜び 有り難さ を感じ
より強く生きていくことができるのではないか

そのような機会を
子供たちから奪ってはいけない

死から目を背けては
  背けさせては
    いけない

ちりとてちん?

2008-05-07 | 想い・雑感
連休中に「ちりとてちん」総集編なるものを見た
朝の連ドラとして放送されている折には
全く見たことがなかったのだが
落語家の話だと聞き見たいなぁと思っていたので
ちょうど良かった

見終わって最後に残った疑問
なぜタイトルが ちりとてちん?

最初ちりとてちん(酢豆腐)という落語を得意とする
噺家が出てくるのかなと思っていたのだが
落語のちりとてちんには
全くカスルことなく終わってしまった
連ドラの放送では出てきたのだろうか

出てくる人物も
通ぶったり やせ我慢したり
というより本音で生きている人がほとんどだしなぁ

なんで ちりとてちん なのだぁ!?

みどり

2008-05-06 | 想い・雑感
芽吹きの春が過ぎ
草木の緑が濃くなってきた
デッキのぶどうの樹も
少しずつその大きな葉を増やしはじめている





先頃花びらを落としてしまった
桜の木々も緑を湛え
強くなりかけている日差しを
やさしく遮ってくれる





桜のきれいな緑も
秋になるとすっかり落としてしまい
また来年の開花に備える

繰り返される

しかし一度きりしか巡り来ぬ

時の

  季節の

 移ろい

学ぶ機会

2008-05-05 | 想い・雑感
中学生二人が白鳥と黒鳥を棒で殴ったという事件が
全国版ニュースとして流れている

当然その行為はきつく注意されなければならないと思うが
その中学生たちのいる地域では
匿名ではなく実在の人物として特定されてしまうだろう
するとその二人に対し
過大なる圧力がかかってしまうのではないかと心配になる

そもそも今の社会において
この中学生たちにたいし
じっくりと語りかける事のできる大人がどれくらいいるのだろうか
私にはあまり自信がない

勝ち組 負け組みと称して
勝者の論理が発言権のつよい世の中

自己責任 という言葉を強調し
多くの事項を 個人の責任にしてしまおうとする 政治

毎年おびただしい数の犬や猫をガス室に送り込む現実

誰が真にこの中学生たちを責めることができるのだろうか

かく言う私も
幼稚園の頃にカナブンを死なせてしまったことがある
家に入ってきたカナブンを捕まえたところ
近所のお兄さんにカナブンの足に細い糸を結ぶことを教えてもらった

ぶーん と飛び立つカナブンが
自分のそばからあまり離れていかない様に
わくわくしていた

ところが当たり前ながら
段々元気がなくなってしまった
一生懸命お腹をさすったりしていたのだが
そのうち全く動かなくなった

何ものかの死に接して
涙を流したのは
そのときが初めてだったように思う

生の儚さ 生への畏敬
などという高尚なはなしではなく
ただ悲しかった

みな 大なり小なり
似たような経験をして
生きるということ
生かされるということを学び
大人になっていくのだと思う

メディアという巨大な力が
そんな学びの機会を
中学生から奪い取ってしまうことにならないよう
願っている


体験

2008-05-03 | 想い・雑感
自転車で北海道を旅行したとき
摩周湖に立ち寄った
あまり考えずに
「行ってみよう!」
という感じでペダルを漕いだ

摩周湖が近づくと
な なんと
いきなりの上り坂

湖が高い位置にあるというイメージがなかったので
大誤算
たしかに地図を見直すと
湖の近くで一気にのぼっている

押したり 乗ったり
 乗ったり 押したり しながら
ようやく摩周湖の展望台にたどり着いた
距離はせいぜい5~6Km程度の急登坂
バスで観光すれば
坂があったことすら気がつかないかも知れない

自分の足を使うと
体がその坂のことを覚えている

これが 体験 

  なのかな

それぞれの歴史 そして想い

2008-05-03 | 想い・雑感
進行胃癌が見つかった60代男性
外来で初めてお会いしたときから
説明を聞いてもあまり動じる風がない
奥様と共に淡々としている

腫瘍マーカーがかなり高値を示していることや
リンパ節がかなり腫れていることなどから
かなり厳しい状況であることまでお話しした

そして術後抗癌剤治療が必要であることもお話しした
すると娘さんのことを話し始められた

2年前に白血病に対する闘病の末に
旅だった娘さん
2回の骨髄移植と厳しい抗癌剤治療に耐え抜いたが
病勢を抑えきることができなかった

治療の苦しみ
死への恐怖
それらに堪え忍ぶ娘の姿を想い出せば
自分が癌と言われたからといって
動揺するのは恥ずかしいし
不思議なくらい気持ちは落ち着いている
なるようになると腹をくくっているとのこと

両親 夫 子供などに残した小さなノートの最後に
それまでのきちっとした字に比べると
少し乱れた字で
「誰も 恨まないで」
と書かれていたという

どのような気持ちで書いたのだろうか
そしてそれは自分自身に それとも家族へ向けて 書かれたのだろうか



割り切れば
娘さんのことと胃癌の治療とは関係ない
実際に治療に当たってはそういうスタンスが必要である

でも医療としては
ご本人の あるいは家族の
様々な思いも感じ取りながら
患者さんと接していく
そのような自分でありたいと思う

声のかすれ

2008-05-02 | 医療・病気・いのち
ご高齢の男性が
食べ物がつかえるということで病院にかかったところ
食道癌が見つかり紹介されてきた

食道の腫瘍のために通り道が狭くなり
つかえ感が出ていたのだろう

リンパ節転移が多く
手術適応とはならないが
幸い食道癌は放射線が効くことが少なくないので
少量の抗がん剤を併用しつつ
放射線治療を開始した

首と胸の境界辺りに硬く触れるリンパ節があったのだが
次第にやわらかく そして小さくなってきていた
しかし治療の終盤に入り
声がかすれてきた

これは声帯の動きを司る反回神経に何らかの悪影響が出てきた可能性がある
腫瘍が神経を巻き込んだか
単に放射線の影響か

内視鏡を行ったところ
食道の病変はほとんど消失しており
放射線がかなり効いている
つまり声のかすれは単に放射線の影響と思われた

ご本人がかなり投げやりになってきていたところなので心配したが
結果が良いことをお伝えすると
一気に表情に生気が戻ってきた

良い結果がお伝えできるときは
患者と医者と お互いにとってハッピーだ

でもいずれ・・・

倒れそうな方に

2008-05-01 | 想い・雑感
初めて補助輪無しで自転車に乗ったのは
幼稚園の頃かすでに小学生になっていたのか忘れてしまった
でも場所は今でも覚えている
家の近くにあった小学校の運動場
すでに薄暗くなりかけていたのに
比較的多くの人達がいたのは
そこでなにかが行われていたのかも知れない

親に後ろの荷台を持って貰いながら
こぎ始めた
少しすると
倒れる方にハンドルを切るように
という声と共に
荷台から手を放されたのを感じた

ブレーキをかける余裕などはなく
何故か必死でペダルを漕ぎ続けながら
倒れる方にハンドルを切った

右に左に大きく揺れながらも
倒れそうになる方にハンドルを切っている内に
あまり蛇行せずに自転車が進むようになった

確かに倒れそうな方向にハンドルを切ると
体勢を持ち直せるという自信とともに
その日あっという間に自転車に乗れるようになった

倒れ込みそうになり
不安で何か怖いことがあれば
誰だってそこから身を離そうとする
でもそうすると自転車と一緒で
かえって行きたくない方向に進んだり こけてしまったりする

何があっても恐れずに
しっかり不安と向き合うことが
不安から逃れる
最も確かな方法なのかも知れない

倒れそうな方向に
自転車のハンドルを切るように