Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

のどもと過ぎれば・・・

2008-11-11 | 想い・雑感
のどもと過ぎれば・・・
というのは誰にでもあることで
つらい 苦しい 心配 という感情がなく
調子が良くなってくると
まあいいか となってくる

癌の手術後の方の場合でも
再発のリスクを説明していていても
月日とともに
体調がいいから検査はいらない
と思ってしまう人が時々おられる

もちろん最終的に検査を受けるか否かはご本人が決めること
ではあるが
自己判断で検査をキャンセルした患者さんがおられれば
なぜその検査が必要かを再度説明することとなる

進行胃癌に対する手術を受け2年が経過したKさん
血液検査だけをうけてその日のCTをキャンセルされた
CT検査で何を見るのか
つまり再発の有無を見るために必要な検査であることを説明し
いずれ必ず受けていただくように説得
とりあえずそのときは帰っていただいたが
血液検査で腫瘍マーカーが少し異常高値
すぐにご自宅に電話を入れて説明し
近日中にCTを受けていただくよう予約を入れた
何かいやな予感がするなぁ

胃癌治療の場合
のどもと過ぎても
5年間は辛抱して検査を受けてくださいね
のどもと過ぎても まだ体から出て行った保証はないのですから

キャッチボール

2008-11-07 | 想い・雑感
小学生から中学生くらいまで
よくキャッチボールをした
グローブをつけてボールを投げては受ける
ただその繰り返しなのだが
お互いの連帯感のようなものが生まれる

強い玉がくれば強い玉を
変化球が来れば変化球を
ゆるければゆるく返球する

時には速球に対して逆にゆるい球を返し
もう少し遅い玉にしてくれよとの思いをこめる

まさに会話

人と話すときにも
強い言葉には強く
優しい言葉にはやさしく
というように会話は進む
売り言葉に買い言葉となることも多い

攻撃的な言葉に対してもやわらかく対するなどというのは
なかなかまだできない

2008-11-06 | 想い・雑感
庭に小さなバラがある
草取りをするとき
時にそのバラに触れてしまい
棘の存在を思い知らされることがある

草花すべてにトゲがあるわけでなく
バラがどうしてトゲを必要としているのかわからない
身を守るため?
何から?
少なくとも周りを傷つけることを願ってトゲを纏っているわけではないだろう

人の言葉
意図せずともトゲになることがある
病を得た方に対し
つらい事実を告げるときもなるべく言葉を選ぶわけだが
病気に関すること以外の何気ない会話の中で
知らず言葉の棘で傷つけてしまうことがある
言葉だけでなく
表情や態度で傷つけてしまうことがある

人により感じ方が違うので
いくら注意しても
すべての棘を取り去ることなど叶わぬことだが
穏やかなありようを心がけたい

私自身
思ったことを
ぽっと 言葉に出してしまう
どれだけ人を傷つけてきたのかを考えると
心が痛む

大切にしたい
守りたい
などという気持ちとは裏腹に
言葉や態度が先鋭化してしまうこともある
むつかしい

夕暮れ

2008-11-04 | 想い・雑感
夕方4時ころ窓の外を見やると
まだ明るい
しばらく仕事をしてふと気がつくと
ほとんど真っ暗

太陽が時間当たり天球を移動する角度に
季節によって差があるはずはないが
まだ明るいだろうと思う人の感覚とずれて
あっという間に暗くなってしまう状況から
秋の夕暮れをつるべ落としと形容したのだろう

私が幼少のころ過ごした町には
すでに井戸自体が珍しかったが
ないわけではなかった
その井戸には滑車がありその両方からつるべが下がっていた
この状態では落とすというほどの勢いでつるべが下りるわけはないので
つるべ落としと呼ぶ場合のつるべは
一つに縄が付いているだけのものを意味しているのだろう

人生において
過ぎ去った日々を見やると
その時はあっという間に過ぎたように感じるが
年とともに時間が早くなるとは
多くの人の感想である

人の一生を四季に例えるとき
人生における秋がいくつくらいからを指すのかはわからないが
中年から老年へと移りゆくその季節において
あっという間に減りゆく時間を想像すると物悲しい気持ちとなる

ただいよいよ冬が深まりゆく頃には
逆に少し緩やかな時の流れに身を任すことができることに
わずかな期待をするばかりである

軒並

2008-11-03 | 想い・雑感
方丈記の一文を出すまでもなく
街の軒並は
年とともに変貌していく
天変地異や人災(戦争を含む)がなくとも
新陳代謝の如く変化が起こる

その無常はわかっているつもりだが
幼少時を過ごした場所を久方ぶりに訪れ
その場所がわからずに一度通り過ぎてしまうほど変わっていると
そこに暮らしていた頃周囲に居た人々
その多くとは二度と会えないという喪失感とともに
一抹の寂しさを感じる

今やその頃の街や人々は
私の記憶に残されているばかり
その私もいずれは・・・

コスモス街道

2008-11-03 | 想い・雑感
1Kmに亘ってコスモスが咲いている道を通り過ぎた
母が好きだったこの花をみると
心が少し和む

コスモスの種は小さな褐色
その小さな種から芽を出し
花を咲かせるまでになったコスモスは
意外と背が高い

あの小さな種の中に
成長したコスモスのすべてが包含されている
その命が凝縮している
というのは不思議な感じがする

地面に落ちた種が
水 太陽 微生物 とかかわりながら
土壌内の様々な物質を取り入れ成長する
そこに縁の不可思議も感じる

私たちも一つの受精卵から現在の自分となっている
そこまでには様々な縁が複雑に絡み合い今がある
受精卵となる以前の様々な縁を考え
父母未生以前まで問われると
ただただ縁の有り難さに感謝するしかない
そして今在ることに