音頭に合わせて踊られる「表佐の太鼓踊り」は、江戸時代初期(1683)の頃に
美濃の国・中山南宮大社に雨乞いをして太鼓を打ったのが始まりと言われ
その祈願のかいが有ってご利益の雨に恵まれると、「礼踊り」と言って
南宮大社や氏神さまに、感謝して太鼓踊りを奉納したと伝えられ
雨を乞い祈る信仰は、世が泰平化した元禄の頃から根強く芽生え
「太鼓踊り」と結びついて芸能化され、広く西日本地方へと伝承され
西濃地方の穀倉地帯である「表佐の太鼓踊り」は、若者の鍛錬と
娯楽を兼ねた神事芸能として、その太鼓だけが著しく大きく成り
今日迄及んでいて、その太鼓の直径は1mから1.3mで
重さが50kg~60kgある大太鼓を腹に括り付けて、音頭に合わせ
踊りながら打つ様は実に勇壮で、元禄(1690)の頃の作と云われています
「築地」「元禄」と共に、今日迄継承されている「笹の葉踊り」
「金堀踊り」「貝吹踊り」「綾踊り」は、嘉永(1850)頃迄に
完成されたと伝えられ、10月の秋祭りには豊年を称えて
この「太鼓踊り」が奉納されると聞き、爺やは観に行って来ましたが
現在でも老いも若きも和気藹々と歌い踊り、大太鼓と鉦鼓の音が
秋晴れの青空の下で、表佐の街中に響渡っていました
「表佐の太鼓踊り」を観に行った時の様子をデジブックで纏めました。
お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。
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