岐阜県大垣市では、初夏の風物詩となっている「大垣まつり」が開催され
70年振りに勢揃いしたやま13両が街中を巡行し、多くの人達で賑わっていた
「大垣まつり」の「やま」の起源は、慶安元年(1648年)に
大垣城下町の総氏神であった八幡宮が、10万石大垣城の初代藩主
戸田氏鉄公により再建、整備された時に
城下の18郷が、神輿3社の寄付で再建の喜びを表し
また、当時の大垣城下町の本町、中町、新町等10ヵ町が
10両の「やま」を造って街中を曳回したのが始まりと伝えられ
延宝7年(1679年)藩主であった戸田氏西公から
「神楽やま」や「大黒やま」、「恵比須やま」の三両の「やま」を賜り
それを機に10ヵ町は、「やま」の飾りつけに趣向を凝らして来たが
濃尾震災や先の戦争の戦火に依って、多くの「やま」を失ってしまい
その後、修復や復元、購入した等に依って再建が進められ
今年になって、残る俵町の「浦嶋やま」と中町の「布袋やま」の2両が
復元されて70年ぶりに、全ての「やま」13両が勢ぞろいをして
祭囃子に合わせて、壮麗な歴史絵巻が街中で繰り拡げられ
また両日の夜には八幡神社前で「宵宮」が行われ
13両の「やま」が一斉に提灯を灯して、幻想的な夜景をつくり出していた
※ 大垣市の「やま」は「車」偏に「山」と書きますが、PCでは表記されないので「やま」と記述しています。
また、大垣まつりの歴史については、当日大垣まつり実行委員会から配布されたパンフレットから引用させて頂きました。
大垣まつりの様子を期間限定のデジブックで作成しました。
ご高覧頂ければ、幸いです。(6月16日削除予定)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます