「お茶屋屋敷」は
江戸時代の初めに
中山道の道中の
四里毎に造営されて
屋敷の周囲には
土塁や空濠をめぐらし
その内廊を本丸と云い
厳然とした城郭の
構えであったと云われ
その中でも岐阜県大垣市の
かっての赤坂宿に在ります
「お茶屋屋敷」は
慶長九(1604)年に
徳川家康が、織田信長の
造営した岐阜城御殿を
移築させた将軍専用の
休泊所跡であり
・・・画像のアニメは、「Giam」を使って作成しました。(画像6枚)・・・
屋敷跡地内には、数多くの「ボタン」が植えられていて
東海有数のボタン園として一般開放され、4月下旬から5月の連休期間中には
見事な牡丹が咲き無料公開されますので、多くの観光客が訪れますが
このお茶屋屋敷跡には、四季折々の花や植物が楽しめる様に
多くの花木等が植栽されていますので、桜の花が散り始めた今の時期
何か花でも咲いていないかと、昨日の午前中に訪れたところ
「ボタン」はまだ蕾の状態でしたが、「リキュウバイ」の白い花が咲き始めていました
「リキュウバイ」はバラ科の落葉性低木で、漢字では「利休梅」と書き
千利休に因んでいますが、日本へ渡来したのは明治時代末と云われ
茶花として広く利用されていた為に、そのイメージから名付けられたと思われ
現在では庭木としても広く植栽され、径4㎝位の梅に似た形の白い花を
4~5月の芽吹きと同じ頃に咲かせ、新緑の葉と白い花の淡いコントラストが
春の柔らかい陽光に映えながら、やや控えめに咲いていました
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