浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「心行の解説」より。

2014-01-21 01:01:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

あらゆる宗教は「感謝をしなさい」と教えますが、
なぜ感謝しなければならないのかというほんとうの理由は教えていただけません。
これも原因結果の法則から見ますとはっきり分かります。
「有難うございます」と感謝しておりますと。
その感謝の思いの中には怒りも愚痴も恨みも憎しみも入ることはできませんから、
万象万物すべてが神の御姿であればすべてのものに「有難うございます」
「有難うございます」と感謝の時間を長く持てば持つほど私たちの心に苦しみの原因が入ってくることがないからです。
私たちの心は「一念三千」といって一瞬にして三千の方向に動き回りますが、
どんな器用な方でも同時に二つのことを思うことはできません。
一つ一つしか思えないように心は作られていますから、感謝に心を向けておりますと、
外のことを思えないのです。

感謝とは心を苦しめる悪しき想念から自分自身を守る武器であったのです。
このように思わせていただいて、お日様を見ては「有難うございます」
熱・光を戴いては「ああ有難うございます」お水を戴いては「ああ有難うございます」
花を見、人様を見ては常に「有難うございます」と思う時間が長ければ長いほど平安に過ごせます。
今日一日がそのような感謝の心で過ごせましたら、
平均寿命が八十年としましても三百六十五日を掛けてみて下さい。
三万日もありません。
しかもその一日一日は再び帰ってこないのです。
もし取返しができるのでしたら、私の髪の毛はすぐに真っ黒になるのですが、時間の取返しはできません。
しかしこれは自然現象で、髪が薄くなる方、白くなる方は自然の定めであり、
いずれにしてもやがては必ず皆この世から消えていきます。

いつまでも生きたいと思う方がありますけど、人は適当な時に死なせてもらうのが一番いいのです。
朽ち果ててから散ったのでは愛想をつかされます。
桜という花は大変綺麗で人の心を引きます。
春の嵐に「もうちょっと咲いていてほしいなあ」と思う時にハラハラと散ってしまうから
「もったいないなあ、惜しいなあ」と思うのですね。
私のような者が何も望むことなく、自分の思いいっさいなしに、こうして日本国中から招いていただいて、
そしてこんな拙い話を聞いていただき「お陰さまで救われました」
「お陰さまで病気が治りました」「心の苦しみから救われました」と、
数えきれない方々が幸せになっていただいております。

これは人としてこの世に生を戴いて人間として今の私は最も花の満開した時ではないかと思わせていただいております。
私は高橋信次先生よりも、もう十年長生きさせていただきました。
出来る事なら日本のあちらこちらから、私の代わりにこうしてお話をして下さる方が目覚めていただけますように、
そして次の人々を救っていただけますように、―――そうなりましたら私はもう安心して散っていけます。
私が散りましても、私の咲かせた花はまた皆さんが実らせてくれたらいいのです。
散った後に「あの人はこんなことを言ったなあ」と言って、実らせて下さったら私の努めは終わるのですね。
そのように惜しまれる間に散らせてほしいのが私の心境です。


~ 感謝・合掌 ~






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