~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
神様の御心を表すのはどうしたらいいか、それは今日まで何回もお話し、テープでも
聞いていただいていますように、「神様を知りたければ、あの太陽を見なさい」、
お日様のお姿こそ、ほんとうの神様と思えばいいのですね。
そして、ほんとうの神様を知った時、私たちはその真似をしたらいいのです。
自分の生活の中で少しでも神様の真似をさせていただいたらいのです。
お日様のように自分を犠牲にして自分を燃え上がらせたらいいのです。
つまり、自分の肉体を使って、人様のために働かせてもらうのです。
「ああしたい、こうしたい」という時間をちょっと横に置いて、
人様の喜びのために肉体を動かす、これでいいのです。
そして「あの人は好き、この人は嫌い」と言わないで、どの人も皆好きになることです。
嫌いな人を一人作りますと、一つ、二人嫌いな人を作りますと、二つ苦しいのです。
世の中の人が皆好きになれば、神様の御心を行うことになります。
また、自分にとって都合の悪いことをされた時、「よくもやったな」と腹を立てて、
一つの不都合に対して三つお返しをしてやろうかと思うのが私たちですが、
これは絶対にしてはなりません。
お日様がなさらないこと、つまり神様がなさらないことを、私たちは決してしてはならないのです。
人が自分の悪口陰口を言ってくれても、自分の持っているものを盗んだとしても、
これを許させてもらい、責め裁かないことですね。
イエス様は、「自分が裁かれないために、人を裁いてはならない」と、おっしゃっています。
お日様が裁くことをいっさいなさらないのですから、私たちも裁いてはなりません。
また責めてはならないのです。といいましても、肉体を持っていますと、
都合の悪い時にはむくむくと怒りが起きてきますがこの思いを早く捨て去ることです。
そういう思いが起きて、「これはいけない」と思えば、早く捨てて、正常な心に切換えることです。
しかし、私たちは、自分の身に都合が悪い事がふりかかってきますと、
心の曇りの中から悪魔が首を出してきます。
悪魔のままに実践しますと、それは自分の魂を悪魔に売り渡したことになります。
「ああこれはいけない、私はまだこんなに未熟な人間である」と思って悪魔を追い払った時、
正常を保つことができます。
イエス様は「サタンよ去れ」と、おっしゃったのですね。
サタンとは、心の中の悪魔です。
私たちは油断をしますと、肉体のサタンがどこかに隙はないか、
隙があれば襲ってやろうとねらっていますから、サタンにやられてしまいます。
悪魔の正体は、自己保存と自我我欲です。
これは私たちの肉体の悪魔で、キリスト教では原罪といい、
「人は罪の子である」と教えています。
しかし、人の内なる意識は神の子です。
肉体が持っている意識が罪の子であり、この肉体の罪は、無理はないのです。
自己保存、自我我欲から離れては生きていくことはできないように作られています。
ただ思いに心が翻弄されてしまいますと、罪の子として生きることになります。
~ 感謝・合掌 ~
関連ブログ
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