浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「心行の解説」より。

2014-01-22 00:21:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

不思議なもので、心から私のことを思っていただく方から
「自分の胸の中にいつも長尾先生が坐っていて下さっています。
ほっと思えば先生の顔がここに浮かんできます」といっていただけます。
それは常に私の話を思い出していただき、
私と接した時の思いを心の中に抱いて下さるからですね。
私はそういう方の心の中に常に生きていられます。
ですから一人でも多くの方のために善き行いを積み、
善き行いをもって一人でも多くの方の魂の中に自らを生きさせてもらうことです。
自分を捨てた愛の実践、これは必ず人の心の中に入っていきます。
もし望むものをもって「こうしてあげるから、こうしてほしい」
或いは「こうしたから、あんな風にしてもらわなくてはいけない」という思いを持って行為しましたら、
これは自らを苦しめることになります。
徹底した無償の愛の実践をすることです。
この時は心に苦しみが残りません。

相手に笑顔を求めても、感謝の心を求めてもいけません。
ましてや物や金を求めてはいけません。
いっさい無償、そして自分は何をさせていただいたとか、
どなたにさせていただいたという思いもすべて捨てることです。
その時は、心に苦しみが湧き上がることはありません。
あたかも池の鯉に餌をやるごとくさせていただくことです。
餌をやりながら、鯉に「この餌を返してね」と言う人はいないと思います。
この心がけが大切ではないかと思います。しかし餌をやるからといって、
その餌に針と糸をつけて投げてはいけません。
求めて得られないようになっているのがこの世の実相です。
求めて得られるのでしたら、人は苦しむことなどないのです。
与えられないから皆苦しんでいます。
だから求めないことです。
たださせていただくのが、幸せへの道です。


               ~ 感謝・合掌 ~






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