浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「心行全文」

2014-01-01 11:53:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は「心行」の著者「高橋信次」先生です。


      ~ 恩師の「心行の解説」より ~


     「心行全文」  高橋信次先生

心行は 宇宙の神理 人間の心を言霊によって表現したものである
それゆえ心行は拝むものでも暗記するものでもなく
これを理解し行うものである
正法は実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ

われいま見聞し正法に帰依することを得たり
広大なる宇宙体は万象万物の根元にして
万象万物相互の作用により転生輪廻の法に従う
大宇宙大自然界に意識あり意識は大宇宙体を支配し
万象万物をして調和の姿を示さん
万象万物は、広大無辺な大慈悲なり
大宇宙体は意識の当体にして意識の中心は心なり
心は慈悲と愛の塊にして当体意識は不二なることを悟るべし 
この大意識こそ大宇宙大神霊・仏なるべし
神仏なるがゆえに 当体は大神体なり
この現象界における太陽系は大宇宙体の小さな諸器官の一つにすぎず
地球は小さな細胞体なることを知るべし
当体の細胞なるがゆえに細胞に意識あり
かくの如く 万物すべて生命にして
エネルギーの塊なることを悟るべし

大宇宙体は、大神体なるがゆえにこの現象界の地球も神体なり 
神体なるがゆえに 大神殿なるべし大神殿は 万象 魂の修行所なり 
諸々の諸霊 皆ここに集まれり諸霊の輪廻は三世の流転
この現象界で己の魂を磨き
神意に添った仏国土・ユートピアを建設せんがためなり 
さらに 宇宙体万象が 神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため
己の魂を修行せることを悟るべし 
過去世 現世 来世の三世は生命流転の過程にして
永久に不変なることを知るべし
 
過去世は 己が修行せし前世すなわち
過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり 
現世は、生命・物質不二の現象界この世界のことなり
熱 光 環境 一切を含めてエネルギーの塊にして
われら生命意識の修行所なり
神仏より与えられし慈悲と愛の環境なることを感謝すべし
来世は次元の異なる世界にして
現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり 
意識の調和度により 段階あり
この段階は神仏の心と己の心の調和度による
光の量の区域なり
 
神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち実在の世界にあって
諸々の諸霊を善導する光の天使なり
光の天使 すなわち諸如来 諸菩薩のことなり 
この現象界は神仏より一切の権限を光の天使に委ねしところなり 
光の天使は慈悲と愛の塊にしてあの世 この世の諸霊を導かん
さらに諸天善神あり諸々の諸霊を 一切の魔より守り正しき衆生を擁護せん
肉体を有する現世の天使は諸々の衆生に正法神理を説き
調和の光明へ導かん

この現象界におけるわれらは過去世において
己が望み 両親より与えられし肉体という舟に乗り
人生航路の海原へ己の意識・魂を磨き
神意の仏国土を造らんがため生れ出でたることを悟るべし
肉体の支配者は 己の意識なり己の意識の中心は心なり
心は実在の世界に通じ己の守護・指導霊が
常に善導せることを忘れるべからず
善導せるがために 己の心は己自身に忠実になることを知るべし
しかるに 諸々の衆生は己の肉体に 意識・心が支配され
己が前世の約束を忘れ自己保存 自我我欲に明け暮れて
己の心の魔に支配され 神意に反しこの現象界を過ぎ行かん 
また 生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり
その原因は煩悩なり 

煩悩は
眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根元なり 
六根の調和は 常に中道を根本として己の正しい心に問うことなり 
己の正しい心に問うことは反省にして反省の心は
己の魂が浄化されることを悟るべし 
己自身は孤独に非ず意識のなかに己に関連せし
守護・指導霊の存在を知るべし 
守護・指導霊に感謝し さらに反省は
己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし 
六根あるがゆえに 己が悟れば菩提と化すことを悟るべし 
神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
神意なることを悟るべし

肉体先祖に報恩供養の心を忘れず両親に対しては孝養を尽くすべし 
心身を調和し 常に健全な生活をし平和な環境を造るべし
肉体保存のエネルギー源は万象をふくめ 動物・植物・鉱物なり
このエネルギー源に感謝の心を忘れず
日々の生活のなかにおいて己の魂を修行すべし
己の心、意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活のなかに
神仏より与えられることを悟るべし己の肉体が苦しめば 心脳乱し
わが身楽なれば 情欲に愛着す
苦楽はともに正道成就の根本にあらず 
苦楽の両極を捨て 中道に入り
自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし

一切の諸現象に対し
正しく見 正しく思い 正しく語り 正しく仕事をなし 正しく生き
正しく道に精進し 正しく念じ 正しく定に入るべし 
かくの如き正法の生活のなかにこそ
神仏の光明を得 迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり 
このときに神仏の心と己の心が調和され心に安らぎを生ぜん
心は光明の世界に入り三昧の境涯に到達せん
 
(この諸説は末法万年の神理なることを悟り、
              日々の生活の師とすべし)



         ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-01-01 04:51:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                       ~ 恩師の「心行の解説」より ~


            先の続き・・・

            私たちの本質は神そのものであり、
            神が私たちの内に入って下さっているということを知るだけで、
            また、「ああなるほどそうか」と思わせていただくだけで、
            もう皆さんの魂のワット数は何ワットか上がります。
            このことが分かれば今度は実践することですね。
            じっくりと反省しますと自分の数々の過ちが浮かび上がりますから、
            自分の罪に対する償いとして、どなたに対してでも構いませんから
            「あの罪の償いとしてこの方に善をさせていただこう」
            と思って実践することによって罪は消えていきます。
            しかし次々と罪を繰り返しますと、いつまで経ってもカーテンは上がってくれません。
            曇りの原因を先ず作らないこと、「今後はいっさい腹を立てまい」
            「今後はいっさい愚痴はいうまい」「すべてのものに足ることを知る生活をしよう、
            貪欲を捨てさせてもらおう」これでいいのです。

            お釈迦様の教えの「悟り」についてみますと、
            悟りとはニルバーナー、つまり火が燃え尽くされてしまった状態という意味です。
            この言葉が中国に伝わりまして涅槃という言葉になっております。
            「涅槃」そのものが「悟り」です。

           あるお弟子がお釈迦様に質問されたのですね。
           「ニルバーナ(涅槃)とはいったいどういうことですか」。
           そうしますとお釈迦様は次のようにお答えになられたそうです。
           「ニルバーナとは私たちの心の中の怒りの壊滅、愚痴の壊滅、
           そして貪欲の壊滅である」と、この状態がニルバーナであるとおっしゃっていますから、
           これなら私たちも悟りの心境に至ることができるはずです。
           この教えが理解できましたら、私たちは自信を持って、勇気を持って
           挑戦することができます。
           滝に打たれたり、断食したりということはちょっと真似ができませんが、
           この三つでしたら日々の生活の中で実践できるはずですね。
           誰でもできることです。それが悟りであったのです。
           この状態になったことをまた菩提ともいえるわけですね。


                      ~ 感謝・合掌 ~




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