~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
「自分を愛しなさい」と言いますと、「では、仕事をしないで寝ていよう」と言う人がありますが、
これは、自分を傷めているのであり、悪魔を愛していることです。
インドの言葉で、悪魔のことをマーラーといいます。
日本に伝わりまして、男性のシンボルをマラといいます。悪魔に注意しなさい、
特に男性は大きなマーラーを持っていますから、その悪魔に翻弄されるといろいろ問題が起きるということです。
肉体のことをマーラーといい、己の肉体の中にひそんでいる悪魔、これが私たちを誘惑してきます。
例えば何かしんどいことをしなくてはいけない時に、「止めておけ、そんなしんどいことをして何になるのか」と誘いかけます。
私はいつも悪魔にねらわれています。
「お前はあほと違うか、こんな暑い時に日本国中歩き回って何をしているのか、それよりもっとゆっくりして、
少し楽にしたらどうか」と誘ってきます。
特に「ああしんどいなあ」と思う時は余計に誘いかけてきます。
隙をねらっているのですね。その時、「いやいや、私はそれどころではいのだ、私がゆっくり遊ぶことをせず、
ある場所へ行けば、何十人、何百人の人が救われてくれるのだ。
私のようなものが行くのを多くの方が待って下さっている、楽をするよりも、こちらのほうが大事だ」と思って、
遊ぶほうをふり切るのですね。
ですからおよそ遊びということをしません。
若い時から、遊びを知りません。
人様に少しでも喜んでいただくように生きたいと、これは若い時からの私の理想でございまして、
二十歳ぐらいの時から人様のお役に立たせてもらいたい、
少しでも喜んでいただけるような行いをしようと思って生きてきました。
それがいつの間にか、このように望むことなしに与えられているのですね。
私から、どこそこへお話に行きたいとか、或いは人様の前でこのようにお話をしたいとかは、
爪の先ほども思ったことはありませんが、必要とあれば縁ができます。
ご縁を戴きますと、招いていただきます。
これは、「神様が私をその場所に呼んでいただいているのだから、
何を置いても寄せていただかなければいけない」と思います。
勿論、私には求める心は何一つありません。
電車賃がほしい、私の日当を出してほしいなどとは爪の垢ほども思ったことはありません。
たださせていただきたいという思いだけです。
言葉の唯と只(無料)を間違う人がよくあります。
~ 感謝・合掌 ~