浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「ブッダのことば」より。

2017-04-09 00:04:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

                   六、老い

807、夢の中で会った人でも、目がさめたならば、
        もはやかれを見ることができないない。
        それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、
        もはや再び見ることができない。

808、「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、
        また聞かれた人でも、死んでしまえば、
        ただ名が残って伝えられるだけである。

809、わがものとして執着したものを貪り求める人々は、
        憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。
        それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏を見たのである。


               ~ 感謝・合掌 ~





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