~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
第四 八つの詩句の章
九、マーガンディヤ
838、マーガンディヤがいった、
「聖者さま。あなたは考えて構成された偏見の定説を固執することなしに、
〈内心の安らぎ〉ということをお説きになりますが、そのことわりを諸々の賢人は
どのように説いておられるのでしょうか?」
839、師は答えた、マーガンディヤよ。
『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって
清らかなることはできる』とは、わたくしは説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、
清らかなることができる』、とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、
迷いの生存を願ってはならぬ。
(これが内心の平安である。)」
840、マーガンディヤがいった、
「もしも、『教義によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳によっても
清らかになることができない』と説き、また『教義がなくても、学問がなくても、
知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができない』と
説くのであれば、それはばかばかしい教えである、とわたくしは考えます。
教義によって清らかになることができる、と或る人々は考えます。」
~ 感謝・合掌 ~