次女はサポートセンターの行動援護?でプールに行った。いつもこういう支援を受けられてありがたい。迎えに行くと「今日もいつものとおりでしたが、いつも小さな事件というか出来事があって楽しかったです」と言ってもらえそれはそれでありがたい。次女はプールでは老人たちのアイドルらしく、あちこちから声をかけらるらしい。市内循環のバスが思いがけず来てしまい、小走りしながら「いそげ、いそげ」と言うその様子もかわいいと。
その間、妻とショッピングモールをはしごして、泊まりの準備や孫(!)のものなどいくつか。一通りの買い物はできて良かった。
妻を家に落として、実家というか墓へ。今年は(も)、お盆様を迎える算段はできないので、今日のうちに墓掃除をして、花も供えてきた。行ったら墓だというのにペンペン草が生えていてあきれかえった。この前のお彼岸に来たかなあ。憶えていない。マッチ一本で線香一束火をつけられたので満足!(^^;)
しばらくカレーは食えそうもないという妻が辛いカレーを作ったので、ひーひー言いながら(というほどでもないか)カレーにビール。今日はまったく昼寝しなかった。
今日は8月6日だ。原爆投下から73年。岩城宏之が言っていたように、原子爆弾だけでなく、すべての兵器に反対する。
また、原子力の利用は平和利用だろうがなんだろうが、反対する。
安倍晋三や、その取り巻き、自民党、公明党のこれらに関する政策に強く反対する。特に核兵器廃絶条約に反対している姿勢に吐き気を催す。
NHKの19時のニュースで「日本は核兵器廃絶条約に批准しようとせず、公然と反対している」と言わない、その姿勢に強く抗議する。ただ、少しは安倍晋三忖度強要政権に抵抗していたのだと思う、少しは伝えていたことも書いておきたい。(でも、それじゃあ、いまだに自公に投票するはっきり言って馬鹿な連中には伝わらないよ。)
また、原子力の利用は平和利用だろうがなんだろうが、反対する。
安倍晋三や、その取り巻き、自民党、公明党のこれらに関する政策に強く反対する。特に核兵器廃絶条約に反対している姿勢に吐き気を催す。
NHKの19時のニュースで「日本は核兵器廃絶条約に批准しようとせず、公然と反対している」と言わない、その姿勢に強く抗議する。ただ、少しは安倍晋三忖度強要政権に抵抗していたのだと思う、少しは伝えていたことも書いておきたい。(でも、それじゃあ、いまだに自公に投票するはっきり言って馬鹿な連中には伝わらないよ。)
夕べは次女の作業所で地元の祭りに参加するというので、焼きそば焼きで参加してきた。17時過ぎから20時前までくらい、ろくな休憩も取らず汗だくになって焼きそばを焼いた。25食×16回=400食分。
何回か焼いているのだが、今回が一番うまくいった。変なうんちくだかこだわりだかを強要するおやじあるいはおばさんがいなかったからかな。何しろ鉄板が最初から最後まできれいだった、すばらしい。
何回か焼いているのだが、今回が一番うまくいった。変なうんちくだかこだわりだかを強要するおやじあるいはおばさんがいなかったからかな。何しろ鉄板が最初から最後まできれいだった、すばらしい。
もちろん昨日から?の東京医科歯科大学の男女差別入試問題に怒り狂っているが、他にもいっぱいとか、昔からとか、そういうことにもあきれるし、関係者の話だという「女は結婚出産でやめるから」云々(うんぬん!)がさらに怒りの火に油を注ぐ。
でもともかく国のトップかあれなんだからそうだろうなあと、さらにあきれかえる。
さらに言えば、むかーしから日本は国連のさまざまな勧告に従おうとしていない。これに怒り狂う。どうすれば少しずつでも世の中の仕組みが良い方向に変わっていくのだろうか。悪い方にはこんなにも速く、急激に変わっていくというのに。
でもともかく国のトップかあれなんだからそうだろうなあと、さらにあきれかえる。
さらに言えば、むかーしから日本は国連のさまざまな勧告に従おうとしていない。これに怒り狂う。どうすれば少しずつでも世の中の仕組みが良い方向に変わっていくのだろうか。悪い方にはこんなにも速く、急激に変わっていくというのに。
囲碁将棋を題材にしたライトノベル?アンソロジー
最初の新井素子はまあしょうもない、女こどもの小説(差別的!失礼)で、でも一番違和感がなかった、しょうがない。
最後の「負ける」は「負けることができないコンピュータにいかに負けることを教えるか」というような話(乱暴!すみません)なのだが、個人的にはとても違和感がある。なんて言うか、現実のコンピュータはもうすでにその先まで行っているのだよ。「腕ロボット」の形式的な表情なんて非本質的だと思う。ぜひ「棋士とAI アルファ碁から始まった未来」 王銘琬 おうめいえん 岩波新書を読んでほしいものだ。その、我々の考えるよりさらに先に進んでしまっているAIのことが少しわかる。少ししかわからないのは、著者のせいではなく、われわれの能力の問題なのだが。