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僕の母はあまりボケずに亡くなったが、もちろん最後はだいぶもうろくした。父はパーキンソン病だったので長い老後、長い入院生活だった。たしか2年ほど、妻も僕も週に1度は(まだ小さかった子ども連れたりして)病院通いだった。
でもこの本を、自分の親のことより次は自分の番だよなあと思いながら読んだ。
どうしてこう昔気質の人たちは老いたあと公的サービスを受けることを嫌がるのだろう?この著者も公的サービス、介護を受けることが遅すぎるよ。もっとどしどし介護サービスをうけるべきだ。次は自分なのか妻なのか、同時なのかわからないが、ともかくきびしくなってきたら大騒ぎして公的サービスを受けようと思う。そうすることが世の中を回すことにもなると思う。でもまあ具体的にどうこうというにはだいぶ先のことだ。
うちは自閉症の次女のことがある。世話になっている作業所はすばらしくて、障害者の親の葬式を出してやったり、その後の世話をしたりしてくれている。明日は我が身だ。