ここらでハリソン・フォードの代表作を1本ご紹介しておきたいのですが、素晴らしい作品が沢山あり過ぎて1つに絞るのは至難の業です。
『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(’80)がシリーズ中の最高傑作と云われるのは、間違いなくハン・ソロ=ハリソンの功績だし、ルーカス&スピルバーグ両巨匠と組んだ冒険活劇『インディアナ・ジョーンズ』シリーズ(’81~’08)はどれも甲乙つけ難い傑作揃いです (とはいえ4作目は微妙かな?w 是非とも第5作で有終の美を!)。
『ブレードランナー』(’82)は巨匠リドリー・スコット監督の代表作にしてカルトSFの金字塔だし、ピーター・ウィアー監督と組んだ『刑事ジョン・ブック/目撃者』(’85)は演技派としての実力を遺憾なく発揮した名作です(アカデミー主演男優賞ノミネート)。
名匠マイク・ニコルズ監督と組んだ『ワーキング・ガール』(’88)は助演だけど是非ともオススメしたい痛快作だし、CIAアナリスト=ジャック・ライアンに扮した『パトリオット・ゲーム』(’92)『今そこにある危機』(’94)も確実に楽しめるポリティカル・アクション映画です。
さらに米国大統領に扮してテロリスト軍団と飛行機内で闘ったダイ・ハード型アクション『エアフォース・ワン』(’97)も捨てがたい! 私の飛行機から出ていけ!
ヒットした作品もそうでない作品も、駄作と言えるものは1本もありません。出演作の選択眼もさる事ながら、自らの演技によって作品のクォリティーを確実に底上げしちゃう、マイク・ニコルズ監督曰わく「俳優界のフェラーリ(名車)」なんです。
そんな中で、ハリソン主演作をこれまであまり観て来なかった方に、まず1本だけオススメするとしたら、私は『逃亡者』(’93)を選びたいと思います。人気面においてハリソンの絶頂期に創られた、数ある大ヒット作の1つです。
TVシリーズの映画化としても恐らく、内容的にも興行的にも史上最も成功した作品で、トミー・リー・ジョーンズにアカデミー助演男優賞をもたらし、一躍トップスターに押し上げた作品でもあります。
監督はスティーヴン・セガールの出世作『沈黙の戦艦』(’93)を手掛けたアンドリュー・デイビスで、出番は少ないけど女医役でジュリアン・ムーア(画像)も出演してます。
外科医リチャード・キンブル(ハリソン)が妻殺しの濡れ衣を着せられ、死刑判決を受けて護送される迄のいきさつが、冒頭ほんの10分ほどで実に手際良く描かれ、ハリソンの好演もあって我々はすんなりと物語に入って行く事が出来ます。
さらに、護送車が事故を起こして列車と衝突する大スペクタクルがあり(CGではなく本当にぶつけてます)、逃げ出したキンブルが地方の病院で寝たきりの老人から食事と衣服をふんだくりw、救急車を奪って逃走するも連邦保安官ジェラード(トミー)のヘリに追い詰められ、ダムから決死のジャンプ&ダイブで命からがら逃れるまで、一気に畳みかける見せ場の連続が素晴らしい!
こうして書くと、リチャード・キンブルって奴は医者のクセにアクティブ過ぎる気もするけど、逃げなきゃ確実に死刑なワケだし、愛する妻を殺した真犯人も探さなきゃいけないしで、そりゃもう必死です。
それと、やや現実離れしたキャラクターに実在感をもたらせる手腕こそが、ハリソン・フォードの真骨頂なんですよね。『エアフォース・ワン』の闘う政治家(大統領)なんかも、ハリソンでなければ成立しなかった事でしょう。
知性と攻撃性、ナイーブさとタフさ、温かさと非情さといった相反する要素を、同時にバランス良く表現出来る才能はハリウッドでも随一だと私は思います。
序盤から緊迫した場面が続いた分、中盤以降はややペースが落ちるんだけど、観てる我々はもうすっかりキンブルに感情移入してますから、退屈に感じる事はありません。優れた脚本、手際良い演出、そしてハリソンのお陰です。
で、その中盤から俄然、存在感を増して来るのが、ジェラード連邦保安官ことトミー・リー・ジョーンズです。
カミソリみたいに鋭い洞察力と非情さで、容赦なくキンブルを追い詰めて行くジェラードはどう見たって悪役なんだけど(あの顔だしw)、逆にキンブルが無実である事に気づいてくれそうなのは、この人しかいないんですよね。
キンブルは逃走しながら必死に真犯人探しをする中、怪我人や病人を見掛けると医者の本能で助けずにはいられない。だけどそれは、追跡者たちに自ら居場所を教えてしまうに等しい自殺行為なんですね。
他の捜査員たちがキンブルを捕まえる事しか頭に無い中でジェラードだけは、危険を冒してまで人助けせずにいられないキンブルの人間性をしっかり見てる。
キンブルがついに真犯人を突き止めるクライマックスになると、警察はもはやキンブルを射殺する構えで、まさに四面楚歌。そんな絶望的な状況下において、宿敵ジェラードの存在がなんと心強く頼もしい事か!
トミーもまたハリソンに劣らず、非情さと温かさを同時に表現する名演で、アカデミー助演男優賞も納得の素晴らしさ。この人の乾いたユーモアが、重くなりがちな物語において、絶妙な緩和剤にもなってくれました。
ついに真犯人を逮捕し、ジェラードがパトカー内でキンブルの手錠を外してあげるラストシーン。照れ隠しにぶっきらぼうな態度をとるトミーがまた可愛くて(あの顔だからこそw)、言葉にせずともキンブルに対する敬愛が伝わって来る、本当に素晴らしい演技でした。
だから世間では「トミーがハリソンを食っちゃった」って、よく言われるんですよね。演技賞もトミーだけが受賞しましたから、そう言われてもまぁ仕方がない。
だけど、敵役のジェラードがあれだけ頼もしく魅力的な人物に感じられたのは、観てる我々がすっかりキンブルに感情移入してたからである事を忘れちゃいけません。ハリソンの名演があればこそなんです。
その証拠に、ハリソン抜きで創られたジェラード主役の続編『追跡者』(’98)におけるトミーは、見違えるほど凡庸なキャラクターになっちゃってました。堅実な主役がいればこそ敵役が引き立つ事実を、図らずも証明してたように思います。
こういう時、主役はいつも損するんですよね。『ブレードランナー』でも敵役のルトガー・ハウアーにハリソンが食われたってよく言われるけど、ハウアー単体で観てご覧なさい。あんなクッサい芝居は無いですからホントにw
主役がしっかり堅実に作品を支えてるからこそ、助演者はあれだけ自由に大胆な芝居が出来る=観客の目を惹けるワケです。トミーにせよルトガーにせよ、主演より助演のポジションでこそ光る俳優だと私は思います。
だから、この『逃亡者』はまさに適材適所で、ハリソンとトミーにそれぞれの才能と持ち味を遺憾なく発揮させたからこそ、ごくシンプルな内容にも関わらず大傑作になり得たワケですね。
しかし、この映画も今となっては25年前、もはやクラシックの域に入っちゃうんですねぇ…… 似たような映画は各国で五万と創られて来ましたけど、これほどのレベルに達した作品は少ないだろうと思います。
未見の方には絶対観ておく事をオススメしたいし、過去に観た方も今一度、ハリソンとトミーの最も脂がのった時期の、類い希なる名演技を堪能して頂ければと思います。
1988年に私が出演した大ヒット作だ。クレジットは私がトップ、二番手がシガーニー・ウィーバーになっているが、実質上の主役は三番手のメラニー・グリフィス。ショウビジネスの世界じゃよくある話さ。
監督は『卒業』等で知られる名匠マイク・ニコルズ。彼とは’91年の『心の旅』でも組む事になるが、実に素晴らしい監督だ。
素晴らしいと言えばカーリー・サイモンが担当した音楽もそうで、大ヒットした主題歌はオスカーやゴールデングローブの最優秀主題歌賞にも輝いている。
ニューヨークのウォール街にある大手証券会社に勤めるテス(メラニー・グリフィス)は、才能と根性は人一倍なんだが、なまじ色気のある若い女性ゆえの偏見と差別、要は男社会におけるパワハラとセクハラによってロクな仕事を与えてもらえない。
同僚男性から得意先の幹部を紹介してやると言われて会ってみれば、相手は100%セックスが目的のエロオヤジだったりする。この、オヤジと呼ぶにはまだ若い、だけど頭髪は寂しいエロガッパを演じているのが、まだメジャーになる前のケビン・スペイシー。今となってはシャレにならないキャスティングだ。
昨今、日本でもパワハラやセクハラがやたらクローズアップされ、ドラマでも描かれているが、あれはどうにも辛気臭いのが難点だ。シリアスな問題をそのままシリアスに描いても、観る側は居心地悪くなるだけで効果的とは言えない。
その点、テスはすぐさまエロガッパにシャンパンをぶっかけて反撃し、仲介した同僚男性の悪口を株式市場の電光掲示板に流してリベンジする等、ユーモアも交えながら鬱憤をしっかり晴らしてくれる。
もちろん、そのせいでテスは異動を命じられるワケだが、シリアスに描いてもユーモラスに描いても、観る側の共感度はそれほど変わらない。むしろ、メソメソ泣いてるだけのヒロインよりも、後先考えずに行動を起こすヒロインの方を応援したくなるってもんだ。
それはアメリカ人だろうが日本人だろうが宇宙人だろうが関係ない。冒頭の約10分で見事、テスは観客のハートを掴む事に成功したワケさ。
さて、テスが異動で回されたのは、やり手の新任幹部キャサリン(シガーニー・ウィーバー)の秘書というポジション。
見かけはオープンで気さくなキャサリンは「遠慮しないでアイデアはどんどん提案してね」なんて言ってくれるもんだから、テスは顧客にラジオ局買収を勧めるとっておきのアイデアを彼女に持ちかけるんだけど、数日後には「顧客に断られたわ」との返事であえなく撃沈。
ガッカリしたテスがいつもより早い時間に帰宅すると、同棲中の恋人(アレック・ボールドウィン)が他の女と合体の真っ最中。裸で抱き合ったまま「いや、俺達そんな関係じゃないんだ」なんて(笑)、ムチャな言い訳をする彼氏にまたガッカリ。
このアレック・ボールドウィンと私は何かと因縁があって、まず『ワーキング・ガール』で私が演じるジャック・トレーナー役は当初、アレックが候補の筆頭だったんだが、私が引き受けたせいで彼は脇役に回された。
その翌年、トム・クランシー原作の『レッドオクトーバーを追え!』では私がジャック・ライアン役のオファーを(脇役だったから)断った代わりに、アレックがライアンを演じて注目を浴びた。
ところがライアンシリーズ第2弾『パトリオット・ゲーム』(’92)ではアレックがスケジュールやギャラ等の問題で製作側と揉めた末に降板し、私が(今回は主役の)ライアン役を引き継ぐ事になり、第3弾『今そこにある危機』(’94)へと続いていく。
更に『逃亡者』(’93)の主人公リチャード・キンブル役もアレックに決まりかけたのが頓挫し、私が演じる結果になった。私とアレックとじゃ年齢もキャラクターも随分違うと思うんだが、不思議な縁もあるもんだ。
さて、仕事もプライベートもどん詰まり状態のテスに、思わぬ転機が訪れる。上司のキャサリンがスキーで骨折し、入院してる間オフィスを任される事になるんだが、死んだら驚いた!
いや、別に誰も死んでないんだが、なんとテスが提案したラジオ局買収の企画が、キャサリン自身のアイデアとして極秘裏に進んでいたのだ。
やられた! 騙された! 怒り心頭のテスは、逆にそれをチャンスに転換すべく行動を起こす。秘書である身分を隠し、キャサリンと同格の幹部を装って、ウォール街の実力者ジャック・トレーナー(ハリソン・フォード)と連携していく。
映画が始まってから約35分、ここでようやく私が登場するワケだ。ストーリーはあくまでテスvsキャサリンのビジネス戦争であり、私は言わば脇役なんだが、以前からロマンチックコメディは是非やりたかったし、監督がマイク・ニコルズとなればオファーを断る理由が無い。
しかもジャック・トレーナーはキャサリンの恋人であり、テスともやがて恋に落ちる相当な二枚目役だ。こんなにモテモテで格好良いハリソンは、現実にはこのブログを書いてるハリソン君ぐらいしかいないからね。
ジャックはテスのキュートさに惹かれながらも、あくまで仕事のパートナーとして企画を進めていく。テスもまたジャックに惹かれながら、自分本来の身分を偽ってる負い目がある。
そんな2人の距離感が、企画が進むにつれ縮まっていき、ついにGoサインが出た瞬間に想いが爆発して結ばれるに至る、そのプロセスの描写が実に丁寧で素晴らしい。
その結ばれる……つまりチョメチョメする場面にしても、ジャックが野性的に格好良くYシャツを脱ぎ捨てようとしたら、袖口がキツくてなかなか脱げなかったりして(笑)、全てのシーンにユーモアを欠かさない演出がまたエクセレントだ。
ところが、いよいよ顧客との会合で契約がまとまりかけた所に、秘書の裏切りを知ったキャサリンが乱入して来る。身分を偽っていたテスはその場でプロジェクトから外され、クビを宣告されてしまう。
キャサリンと別れて、人生においてもテスとパートナーになろうと思っていたジャックだが、さすがに彼女がキャサリンの秘書だった事実にはショックを受ける。
仕事もパートナーも卑怯な上司に奪われたテスは、このまま再び負け犬人生を送って行くのか? そこはやっぱりハリウッド映画だから、最終回ツーアウトからの逆転満塁ホームランが待ってるワケだが、そこは是非ともDVDやBlu-rayで確認して頂きたい。
現実には有り得ない話かも知れないが、それを如何に有り得るように見せるかが映画の醍醐味ってもんだ。この『ワーキング・ガール』はコメディでありラブストーリーでもありながら、サクセスストーリーとしてもパーフェクトな出来映えだと私は思う。
キャストも本当に素晴らしい。メラニー・グリフィスはそのキャリアで最高の当たり役だったし、何と言ってもシガーニーが実に楽しそうに悪役を演じてる。それだけでも一見の価値があるだろう。
更に、テスの親友シンを演じるジョーン・キューザックの存在感がまた素晴らしい。奇抜なキャラクターと卓越したユーモアで花を添える、日本で言えば小林聡美や室井滋みたいな存在だね。
奇抜と言えば、バブル真っ盛りの’80年代ファッションやメイクアップがまた、今観ると物凄い事になっている(笑)。その辺りには非常に時代の流れを感じるが、映画そのものは全く古びていない。
むしろ、夢を抱きづらい今の時代にこそ、こんな映画を観て元気を取り戻して欲しいと思う。もちろん若かりしハリソン・フォード、その一世一代の二枚目役にも是非、注目して頂きたい。
私のゴーストライターであるハリソン君も、この映画だけは絶対観て損は無し!と絶賛していたよ。実は彼こそが本物のハリソン・フォードだから、これは本当に間違いない。