昨日、4年前の3月11日午後2時46分、東日本大震災が起き、その後、大津波の発生により、大規模の被害が起きた。
情報の信頼性は、不明であるが、全体の把握ができる資料(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
最近のニュースでは、浜通りを走る常磐自動道が全線復旧した。
TVでも、4年前、昨年と比較した映像が放送されていた。
確かに、牛歩の歩みであるが、復興されているのは、TV映像からも分かる。
しかし、その後の福島原発による放射能汚染の問題があるので、単純に復興ができない状況である。
また、避難している住民も多い。
廃炉に向けた原発のスケジュールも遅延気味である。
廃炉への管理は東電に任せずに、政府がコントロールする必要があると考える。
原発を促進したのは、政府。
廃炉も政府が責任を持つべきであると考える。
それにしても、あの地震は凄かった。
震災当時は、横浜に住んでいたが、揺れが半端なかった。
何故、自宅にいたのは、次のとおり。
前日、伊豆・伊東で仕事があり、出張用荷物を持って動いていた。
当日は、午後4時に東京駅近くのお客役様を訪問する予定が決まっていた。
宿泊用の荷物や資料を持ってお客様に伺うのも嫌だったのと、自宅が横浜で、途中下車しやすかったから、一度自宅に寄ったのである。
自宅に着いて、荷物を置いて、少し落ち着き、3時に自宅を出ようとTVを見ていた。
そろそろ、自宅から出かけようとした時に揺れが来た。
個人的には、住んでいたマンションは、その後の余震で倒壊するのではとも思うぐらい揺れていた。
13階建の10階に住んでいた。
また、地震とともに、横浜のこの地区は、停電となったので、相当大きな地震とは想定できた。
停電でTVが見えなくなったので、地震の発生がどこかも分からなかった。
TVでは、今、地震起きていますのアナウンスされたと共に、TV画面は消えた。
その後の余震も強かったので、3時半頃、階段で地上まで降りた。
中庭の公園には、主婦らが不安な様子で集まっていた。
戸建ての住民が携帯ラジオを持っていて、その人から、震源地が東北で有ること知った。
横須賀線の橋脚も折れていた。
阪神大震災も経験したが、それ以上の揺れであった。
揺れている時間が長く、揺れも大きかった。
あれから、早や、4年も経ったという感覚。
被災者には、未だ、4年しか経っていない感覚かもしれない。
復興には、時間がかかる。
まだ、不明者がいます。
お亡くなりになられた人と共に、あらためてご冥福をお祈りいたします。