17世紀半ばの北米で起こった、原住民部族と植民地軍の争いをある動物の名をとって何戦争というでしょう?
→ ビーバー戦争
一昨年6月18日に、同じ問題が出されております。
詳細は、ここを参照:
http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20140618
このころ珍重されていたビーバーの毛皮の交易が争いの火種となったことから、その名前がつけられました。
17世紀半ばの北米で起こった、原住民部族と植民地軍の争いをある動物の名をとって何戦争というでしょう?
→ ビーバー戦争
一昨年6月18日に、同じ問題が出されております。
詳細は、ここを参照:
http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20140618
このころ珍重されていたビーバーの毛皮の交易が争いの火種となったことから、その名前がつけられました。
松尾芭蕉の名句で、「五月雨を 集めて早し・・・」といえば後に何と続くでしょう?
→ 最上川
一昨年5月9日に、同じ問題が出されております。
詳細は、ここを参照:
http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20140509
この句は改作で、初案は「集めて早し」ではなく「集めて涼し」でした。しかし芭蕉が急流である最上川下りを経験してから改め、句に最上川の豪壮さや激しさを含ませたのです。
石原裕次郎主演の映画、『嵐の勇者たち』を見た。
あらすじ、出演者は、こちらを参照:
http://movie.walkerplus.com/mv19011/
この映画は、昭和44年(1969年)公開です。
その当時の風景が見えます。
気付いた映像は、次のとおり。
1.別荘に向かうシーン。
環八の内側から、第三京浜に向かうシーンは、環八の上から、第三京浜を写した映像。
遠くの景色には、高い建物が映っていない。
1964年(昭和39年)10月6日に一部区間が開通し、1965年(昭和40年)12月19日に全線開通となる。
映画は、1969年で、全線開通した4年後の風景。
私も70年代前半の学生時代に、横浜に行く時に良く利用した道路です。
その当時の雰囲気が漂っている映像です。
当時から、片側3車線、全面6車線の広い道路で、戦闘機が着陸できるように設計されていると言われていた。
インターネットで検索すると、第二京浜道路には、緊急用滑走路で検索結果が表示されます。
本当のところは、分らないようです。
しかし、今でも、滑走路の様な雰囲気がある自動車専用道です。
2.JA8040
この映画の最後に、吉永小百合さんはじめ3人娘が、羽田空港からフランスに飛び立つシーンに、JALの尾翼が映り込んでいる。
その機体番号が、JA8040でした。
その機体番号で検索すると、この飛行機は、日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故機であることが分りました。
事故は、1972年(昭和47年)11月28日にソ連の首都モスクワの空港で、日本航空機446便が離陸直後に墜落した事故です。
詳細は、ここを参照:
偶々、映画の撮影日に駐機していた飛行機ですが、3年後に事故機になる飛行機とは思っていないでしょう。
何か、運命みたいなのを感じました。
羽田空港は、小学生の時の社会科見学コースでした。
見学デッキから、飛行機を見て、記念撮影した、思い出の場所です。
記念写真には、旨い具合に、離陸直後の飛行機が映っていましたが、プリント時の合成写真です。
羽田空港が、国際空港で、私の兄弟を見送った思い出の場所です。
成田空港の開港は、1978年(昭和53年)5月20日です。
それまでは、羽田空港が、国内線と国際線の空港でした。
映画でも、International Airportとなっていました。
当時の空港ターミナルは、今の国際線ターミナルビル辺りにありました。
今の国内線の第一ターミナルは、1993年からです。
第二ターミナルは、2003年からです。
昔のターミナルビルがあった場所に、新国際線旅客ターミナルが建設され、2010年に供用されました。
この映画では、懐かしい東京の風景が見られます。
閑話:
東京モノレールに、天空橋駅がありますが、昔は、そこが羽田空港ビル前の駅でした。
その後、東側に国内線ターミナルビルが新設され、その時に、紛らわしいので、羽田空港駅を天空橋駅と変えております。
モノレールは、羽田空港第一ビル駅、羽田空港第二ビル駅と延長されました。
また、国際線ターミナル駅は、一旦、延長されたモノレールの路線を、国際線ターミナル側に動かして、新たに駅(正式には、羽田空港国際線ビル駅)を作っています。