2006年9月に撮った我が家(宅地だけ)の写真です。まだ土台の工事中で、裏の竹薮は数メートル切っただけです。この写真から三年半が経過して、いまでは家が建ち、家の前にはウッドデッキをつくり、手前の畑には物置兼大工小屋を建て、裏の竹薮は山頂まで切り拓き、家の前は花畑になり……と思い返せばずいぶんあれこれと『仕事』をしてきました。
先日神戸に住む娘のところに出掛け、ついでに退職後10年近く散歩した旧宅のまわりを車で走ってみました。地下鉄名谷駅から歩いて15分の旧宅の周辺はいまもきれいな住宅街です。空き家や荒れた家はなくて、街路樹も公園もよく整備され、見覚えのある家並みがつづいています。
もしあのまま神戸に暮らしていたら、いま頃ぼくはなにをしていただろう。
ウッドデッキをつくったり小屋を建てたりと大掛かりな大工仕事をする余地はなく、裏山の竹を切倒すようなワイルドな仕事はなくて、広い畑で土手の草刈りをすることもなく、他のことに精を出していただろうな。
去年の夏、草刈りの合間に老人会長と土手で立ち話したとき「街の人(老人)はなにをして暮らしておられるでしょうね」ときかれて「そーですねー。まー、それなりになんかして……」とこたえながら、すぐにはイメージが浮かびませんでした。
テレビを見る。本を読む。散歩する。いきつけの喫茶店でモーニングを注文してスポーツ新聞を見る。病院に通う。ときどき旅行する。ボランティア活動の仲間に加わってなにかする。なにか趣味のグループに加わる。狭いけど家庭菜園や庭の手入れをする。ときどき街をぶらつく。なにかイベントがあれば出掛ける。……手帳を持ち、予定を書き込み、なにか『仕事』をしているでしょう。ぼくの場合は道子さんの立ち上げた『大豆畑トラスト』の『仕事』が大きな部分を占めていましたが、寄る年波は感じていました。
いまこの街を散歩する日々が復活するとしたら魅力的ですか。そうきかれたら……。どこが不満だったわけでもありませんが、やっぱり田舎のほうがいいです。
人生に正解はないでしょう。あるとしたらいまの自分が正解です。現実に選び得る最高の答えだったからそれを選択して生きています。
先日神戸に住む娘のところに出掛け、ついでに退職後10年近く散歩した旧宅のまわりを車で走ってみました。地下鉄名谷駅から歩いて15分の旧宅の周辺はいまもきれいな住宅街です。空き家や荒れた家はなくて、街路樹も公園もよく整備され、見覚えのある家並みがつづいています。
もしあのまま神戸に暮らしていたら、いま頃ぼくはなにをしていただろう。
ウッドデッキをつくったり小屋を建てたりと大掛かりな大工仕事をする余地はなく、裏山の竹を切倒すようなワイルドな仕事はなくて、広い畑で土手の草刈りをすることもなく、他のことに精を出していただろうな。
去年の夏、草刈りの合間に老人会長と土手で立ち話したとき「街の人(老人)はなにをして暮らしておられるでしょうね」ときかれて「そーですねー。まー、それなりになんかして……」とこたえながら、すぐにはイメージが浮かびませんでした。
テレビを見る。本を読む。散歩する。いきつけの喫茶店でモーニングを注文してスポーツ新聞を見る。病院に通う。ときどき旅行する。ボランティア活動の仲間に加わってなにかする。なにか趣味のグループに加わる。狭いけど家庭菜園や庭の手入れをする。ときどき街をぶらつく。なにかイベントがあれば出掛ける。……手帳を持ち、予定を書き込み、なにか『仕事』をしているでしょう。ぼくの場合は道子さんの立ち上げた『大豆畑トラスト』の『仕事』が大きな部分を占めていましたが、寄る年波は感じていました。
いまこの街を散歩する日々が復活するとしたら魅力的ですか。そうきかれたら……。どこが不満だったわけでもありませんが、やっぱり田舎のほうがいいです。
人生に正解はないでしょう。あるとしたらいまの自分が正解です。現実に選び得る最高の答えだったからそれを選択して生きています。