兵庫県老人クラブ連合会の2010.1.1.付けの機関紙『きずな』に感動した投書がありました。そのまま転載します。
百年先を見据える元気老人 朝来市老連 佐藤 導顕
わが老人クラブの奇特な元気老人を紹介します。名は松本保、生まれは朝来市和田山町高生田、大正7年1月2日の現在92歳。いたって元気なり。
昭和10年応召。主として北中支方面で活躍し胸背部貫通銃創を受けるも、戦後昭和21年4月14日、着の身着のままで大陸より無事復員。御多分に洩れず食糧難の時代、土地を開墾しサツマイモづくりと薪を作り商いする。努力の甲斐あって、その後牛を飼いながら家畜商を始める。この間雑木山を買い取り、桧・杉の植樹に精を出す。生活も軌道に乗りつつある矢先、昭和43年5月に長男を交通事故で亡くす。また最愛の妻が昭和47年4月に脳血栓で倒れ、リハビリの甲斐なく左半身不随となる。
大変な不幸に見舞われたが、悲しみの内にも持ち前の頑張りで、負けずに立ち上がる。以後、妻の通院の必要から59歳で自動車運転免許を取得し、妻の通院・介護と山林の取得・植樹に励む。現在所有の山は40町歩となり、間伐・枝打ちなどは、すべて完了している。
平成7年「全国優良家畜商」として全国表彰を受ける。また商い中、仲人を依頼され、120組をまとめ上げ、いまだに2組以外離婚者がいないのが自慢である。
現在は39年間にわたる他人も敬服するような妻の在宅介護のかたわら、山にケヤキの植樹に励んでいる。それも苗つくりから行っている。すでに15年間に5000本の植樹を済ませているが、現在も畑には苗が500本育ちつつある。寄る年波にはかなわず、現在大部分は職人さんに依頼しているが、近くの山には杖をついて行き、山に入ると刀鍬を使って植樹している。
ケヤキは百年たたないと用材にならぬといわれているが……。この先、桜山公園をつくる計画中で、今吉野桜120本(三年生)養育中。まったく頭が下がると共に敬服のいたりです。ますます元気で頑張ってほしいものである。
……………… ← これ、ぼくの無言のしるしのつもり。 以上
百年先を見据える元気老人 朝来市老連 佐藤 導顕
わが老人クラブの奇特な元気老人を紹介します。名は松本保、生まれは朝来市和田山町高生田、大正7年1月2日の現在92歳。いたって元気なり。
昭和10年応召。主として北中支方面で活躍し胸背部貫通銃創を受けるも、戦後昭和21年4月14日、着の身着のままで大陸より無事復員。御多分に洩れず食糧難の時代、土地を開墾しサツマイモづくりと薪を作り商いする。努力の甲斐あって、その後牛を飼いながら家畜商を始める。この間雑木山を買い取り、桧・杉の植樹に精を出す。生活も軌道に乗りつつある矢先、昭和43年5月に長男を交通事故で亡くす。また最愛の妻が昭和47年4月に脳血栓で倒れ、リハビリの甲斐なく左半身不随となる。
大変な不幸に見舞われたが、悲しみの内にも持ち前の頑張りで、負けずに立ち上がる。以後、妻の通院の必要から59歳で自動車運転免許を取得し、妻の通院・介護と山林の取得・植樹に励む。現在所有の山は40町歩となり、間伐・枝打ちなどは、すべて完了している。
平成7年「全国優良家畜商」として全国表彰を受ける。また商い中、仲人を依頼され、120組をまとめ上げ、いまだに2組以外離婚者がいないのが自慢である。
現在は39年間にわたる他人も敬服するような妻の在宅介護のかたわら、山にケヤキの植樹に励んでいる。それも苗つくりから行っている。すでに15年間に5000本の植樹を済ませているが、現在も畑には苗が500本育ちつつある。寄る年波にはかなわず、現在大部分は職人さんに依頼しているが、近くの山には杖をついて行き、山に入ると刀鍬を使って植樹している。
ケヤキは百年たたないと用材にならぬといわれているが……。この先、桜山公園をつくる計画中で、今吉野桜120本(三年生)養育中。まったく頭が下がると共に敬服のいたりです。ますます元気で頑張ってほしいものである。
……………… ← これ、ぼくの無言のしるしのつもり。 以上