古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『そうか、もう君はいかいのか』(城山三郎)を読みました。

2010年02月27日 05時23分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『よかたん』温泉で骨休めしようと出掛けたとき、すぐそばに新しく開館した吉川図書館に寄りました。こんなに清潔で明るい図書館ははじめてです。ぼくが読む程度の本は並べてあります。
『そうか、もう君はいないのか』(城山三郎)を借りました。読了してネットで感想をチェックしてみると、彼の妻に対する愛惜の情に感動した人がたくさんいます。ぼくは別のことを書きます。
 城山三郎は昭和2年8月生まれでぼくより10歳年上ですから敗戦のときは17歳でした。以下彼の文から引用します。

 私は……徴兵猶予を返上し、七つボタンの制服への憧れもあって、海軍に志願し、少年兵となった。……「人の嫌がる海軍に志願してくるバカがいる」と、朝から夜中まで、ただひたすら殴られ続けるだけの毎日。
 戦後になると、……「あんなものを信じて海軍を志願するとは、子供のように幼稚で低能だ」などと批判され、……論戦となると歯が立たない。そこから立ち直るのは一苦労であった。……私は廃墟になって生きていた。私はすべてを疑うことから始め、すべてを自分の手で作り直さなくてはならなかった。

「私は廃墟になって生きていた」という一文がぼくの胸を射ました。空襲も爆弾も知らずに山陰の片田舎でのんびり生きていた7歳のぼくとちがい、城山少年は自分の全存在を賭けて志願し、殴られ、裏切られ、『廃墟』になったのです。
 城山さんより四つ下の先輩が「敗戦後、オレは黙ってまわりの大人の言うこと・することを見て、自分を立て直すのに一年かかった」と話したのを思い出します。彼も「すべてを自分の手で作り直さなくてはならなかった」のです。
 彼らは、少年なりに心の中でどんな作業をして、自分の心の宇宙を再構築し、その後の人生を生きることができたか。ぼくより数年年上の人たちは、みんなそのトンネルをくぐって生きてきました。
 では「作り直した」「立ち直った」と思っている自分はほんとうにそうできたのか。あの敗戦のとき少年だった人たちは、なんとか「立ち直った」と思って生きてきただけです。語っても語っても埋めることのできない空洞を抱えたままです。
 彼らにつづく世代の者として、空洞の存在を感じます。(つづく)  
コメント
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