古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

まだ寒いから頑張らないでおこう。

2010年02月20日 05時06分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 コープ瑞穂農園でもらった堆肥です。二つの容器に一杯と三分の二入りました。これで3000円です。でもここで売ってる袋入り堆肥は高いですよ。一袋(20リットル入り・『花と野菜の土』袋大で400円)が500円に値上がりしています。また15000円でここの市民農園を借りている人なら無料で使い放題。堆肥置き場に山と詰まれています。どういう計算でそうなるのでしょう。家庭菜園に施すゴミ袋2、3個分の堆肥でしたら差し上げますからどうぞ。
 きのうは早速この堆肥を混ぜ込んで耕運し、畝をつくるつもりでしたが、寒いし風があるのでよかたん温泉に骨休めに。朝の散歩もよかたん温泉の近くで。旧吉川町庁舎のあった古い町並みを歩きました。横道にそれると『緑台』という新興住宅の町が近くの山の上にあります。荒れた空き家、急斜面の宅地、頂上には巨大な石で石垣を築いた空き家の大邸宅。バブルの残骸を見るようです。中国道吉川インターチェンジに近くて宅地開発が行われたのでしょうか。
 バブルの頃に乱開発した宅地の跡はあちこちに見掛けます。三木から三田に20号線を走り、桃坂の信号で加東市に入り、小野市に抜けるところに『うぐいす台』という数十年前に拓かれた新興団地があります。車で朝の散歩に出掛け、足を伸ばしたことがありますが路線バスの時刻表を見るとバスは週に一往復あるだけです。これからの発展を夢見て家を建て、老いてゆく人を思うと気が重くなります。
 かく言う我が家もそんな宅地開発の中の一区画です。何の変哲もない不便な土地ですが、やはり数十年前に開発業者が入り込み、山を買って宅地造成し、街の人に売りつけました。我が家の北はなだらかな山ですがその茂みは70区画に分けられ、それぞれ持ち主があります。しかし竹と下生えが茂り、道も定かでなくなり、いまさらどうしようもありません。村人の所有するうちの裏山が防波堤になっています。 あのバブルって日本国中ものすごかったんだなー、と温泉につかりながら思いました。
コメント
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