古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

朝青龍に出会った人

2010年02月18日 03時12分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝日新聞の『ひととき』欄への投書を丸写しします。

   朝青龍 思い出ありがとう  大阪府 湯村 幸子 75歳
 
 夫は朝青龍が1998年に入門して以来、大阪・春場所での彼の朝稽古を撮り続けた。2002年、「朝青龍が家に遊びに来たいと言っている」と夫。「エーッ」と絶句しながらも付き人に「彼は何が好き」と聞くと「肉ッス」。春場所前のある晩、当時関脇だった彼は、我が家で付き人と3人で5㌔の肉をぺろりとたいらげた。そして夫に「(その年の)名古屋場所が済んだら、モンゴルで写真展をしよう」と言い出した。今度は夫が絶句した。
 あっという間に名古屋場所も終り、彼は大関に昇進した。私たちは成田空港で落ち合い、初のモンゴル旅行が実現した。朝青龍には大関昇進の祝賀の場となり、彼が訪れるモンゴルの街々はたくさんの人で埋め尽くされた。いかに彼が故郷の人々に愛され、英雄視されているかが感じ取れた。
 写真展もウランバートル中心にある美術館の展示ホールが用意されていた。市街地を離れると草原が広がった。パオ(ゲル)に泊めてもらった夜、手に取るように近くに見えた星空。今でも忘れられない。
 あなたは、日本の相撲界で確かに一時代を担ってくれた。日本的カルチャーにそぐわないところもあったかもしれない。しかし、私はたくさんのモンゴルの美徳もあなたから教えてもらった。決して忘れないよ! ありがとう。

 モンゴルには日本の中古車がよく走っています。宮崎交通や京都交通という塗装のままで。通訳の女性が、クロネコヤマトのマークを見て、「動物を運搬する会社かと思った」と話していました。
 またモンゴルに行ってみたくなったなー。
コメント
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