古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

田植えの月になりました。

2012年06月01日 05時09分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田んぼに水が入りはじめました。五月、あまり雨が降りませんでしたがため池には水があります。「大丈夫!」と思うたびに、むかしはときに命のやりとりをするような「水争い」があったことを思います。夜ウッドデッキに出ると蛙の大合唱。ひと晩中鳴いています。「田植え時だなあ」、「田舎の、いかにも田舎らしいゴールデンタイムだなあ」と思わず深呼吸をします。
 六条大麦を刈りとって、写真のように小屋で穂先だけを切り集める作業をしました。 
               
 穂先はしばらく日に干してから踏んで大麦にします。副産物の『チクチク』が去年より多くなりそうです。間もなく芽を出すゴマや秋野菜の苗のまわりに撒くことができます。ネキリムシ・夜盗虫をシャットアウトするには一番効き目があります。
 母の「ぎっくり腰」は圧迫骨折みたいなものだったようで、起き上がるのを痛がらなくなりました。昼間はコルセットをします。伝い歩きでトイレや洗面所に行きますが、少しだけ介助があったほうがいい。ですから家にいるときは付き添います。しかし気力の満ちているときは「自分でするから」と介助をふり払います。このたびのぎっくり腰で「寝たきり」になるかと思いましたが気力は萎(な)えていませんでした。
 母・妙子さんは『でんでん虫の歌』という随筆集を出版したことがあります。米寿を寿(ことほ)いで夫が逝ったあと、自分の遺書のつもりで書いた本です。
 その『あとがき』に、彼女は書いています。

 この世を去るにあたって、お世話になった方々、語り合った友だち、そしてわが親族のみなさま、子たち孫たち曾孫たちに御礼申しあげます。…… …… ではみなさま御機嫌よう。
 
 これを書いたときは、「し残したこと思い残すことはもうない。あの世には知人友人がつぎつぎと行って待ってくれている。自分もそろそろあの世に旅立とう」という気だったと思います。そして「あとがき」の日付は2000年9月1日。
 あれから、夫の一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌も過ぎ、自分も九十九歳になり、来年は夫の十七回忌。自分は100歳。まさかそんなことになろうとは。あんな本を出したのが恥ずかしい。(と思ってるかどうか母にはきいてませんけど)世の中というのは自分の思うようにはならないものです。
 このごろぼくは思います。
 ひとりひとりの人間には、それぞれの命のもつ『寿命』というものがある。それはその人の「こころづもり」とはまったく違う。命のいちばん深いところにひそんでいる「なにか」。「いつ」かわからないけど、それまでは生きる。そうするしかない。あれこれ考えようと考えまいとかならずその時はきます。
 
コメント
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