6月29日(金)の朝6時29分に撮った写真です。わが母・妙子さんが朝食をすませ、枝切りのハサミを持って竹薮に帰ってきました。妻・道子さんは結石で入院し、母・妙子さんはぎっくり腰で全面介護が必要になったとき、畑仕事や家事や介護の合間に竹薮にひとり上ってきて、ぼくは「自分にできることをひとつひとつやるしかない」と自分に言い聞かせ、あのベンチに腰掛けてひと息つきました。
そのとき「あの歳で介護が必要になったら、ふたたび竹薮に上ってくるのは無理だろう」とここ数年竹の枝を切り刻みつづけた母の「仕事」を見ながら思いました。
そして二ヶ月。妙子さんは竹薮に復帰しました。
人の寿命とか、生きる意欲とか、向上心というものは、ブラックボックスに入っていて、自分にも他人にもわからないものなのでしょう。
医者に肝硬変といわれて死を覚悟した母から「家族の員数外になってしまいました」と手紙をもらったのは、ぼくが22歳のときでした。あれからも同じようなことが何度かありましたが、それらをつぎつぎと乗り越えて「いま」があります。
「いま」「ここに」いる自分が、「しようと思う」ことをして生きる。いまの願いです。