畑の大豆の落葉がすすんでいます。11月の『文化の日』前後に刈りとって干します。去年と同じようにカラカラに干して、踏んで脱粒するつもりです。それからイチゴのランナーですが、10月末に草刈り機で刈り、耕運します。苗をとられる方がありましたら、いくらでもありますのでそれまでによろしく。品種は『宝交早生』です。
きのう、『田舎暮らし』のための空き家探しをしたチラシを載せました。そのチラシ作戦は駄目でした。畑仕事をしている人に声を掛け、チラシを渡して頼みましたが連絡は1、2件あっただけです。中味を聞くと、まだバブル時代の夢を見ておられるようでお話になりませんでした。
そこで不動産屋に頼むしかないと思い、片っ端から電話を掛けて、田舎暮らし物件の情報をお願いしました。するとファックスで空き家情報がどんどん入るようになりました。それを見て、よさそうな物件を不動産屋さんに案内してもらって見てまわりました。でもほとんどは『古民家風の農家』でなく、田園の山すそに拓かれた新興住宅地の空き家でした。バブルの頃に辺鄙なところにも家が建ち、それが空き家になっている物件でした。
その流れを要約します。
○ 10月 神戸市北区の農家の話が消滅する。 ⇒ すぐにチラシをつくり、神戸市北区、三田市などの田舎に行って畑仕事をする人に声を掛け、チラシを渡す。 ⇒ 11月 ~ 12月 不動産屋さんに連絡をして田舎暮らし物件を紹介してもらい、見てまわる。同時に田舎に住む知人友人に空き家物件を紹介してもらう。 ⇒ 12月 篠山の知人宅を訪ね、不動産屋にも来てもらって相談する。篠山の山奥の『競売物件』を入手して丹波に住むことにする。 ⇒ 年が明けて1月 その物件をあきらめる。 ⇒ 1月~2月、それこそ必死になって空き家物件を見てまわる。 ⇒ 小野市の浄土寺近くの空き家に決め、『重要事項説明』を受ける。 ⇒ 巨大鶏舎が近くにあること・市街化調整区域で改築が難しいことでやめる。 ⇒ 三木市口吉川町の土地を見て気に入り、家を建てることにする。2006年3月中旬のことでした。
片付けていたら手紙のコピーが出てきました。暮れに競売物件を購入することに決めたときお世話になった知人宛てです。長い手紙ですが……。
2006年3月19日
やっと本格的な春になりそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、田舎暮らしの場所探しではお世話になりました。ようやく決まりましたので、報告しようと手紙を書いています。
年が明けて早々(2006年)、競売物件をインターネットで検索して、実際に見てまわることにしました。お宅の近くの競売物件を買う際にも参考になると思って。(知人と相談して「そうしよう」と決めていました)物件はユニトピアの近くでした。
外観から見ると、そう古い家という感じではありません。家のまわりを見ていると、裏の戸が開いていました。競売物件を見に来ただれかがこじ開けたのでしょうか。とにかく中に入ってみました。中はまさに夜逃げの跡のように衣服が散乱していたり、汚れたままになっています。あのあたりは下水工事が完了しているようですが、あの家だけは汲み取りのコエタゴやヒシャクが置いてあり、便所や風呂はひどい程度に荒れています。外観と違い、内部は汚れも荒れもひどいと思いました。
そんな室内を見回していると、ふと「兵どもが夢の跡」というコトバが浮かびました。戦をしたのではなく、意味が違いますが、借金に借金を重ね、あれこれ悩み、ここを捨てて逃げざるを得なかった人の苦悩が漂っている気がしました。とても内部の改装だけでは住めないと感じました。その後柏原地裁に行って、競売物件の資料を閲覧しました。競売物件があんなに詳しく調べてあるのを、はじめて知りました。土地の評価、家屋の評価、借金と本人の現状が載っています。また「兵ともが……」がよみがえり、とても素人の自分たちが手を出せないと感じました。
それ以来、お宅の近くの家(競売になる予定の)に対する意欲が失せ、なんとか自分たちの足で田舎暮らしのできる場所を見つけようと走り回ることにしました。
知事認可の不動産屋のリストをインターネットで検索して、片っ端から電話を掛けて資料を送ってもらい、現地を見にいく作戦に出ました。社、三田、篠山、谷川、淡路島に渡って一宮町、津名町、神戸市北区、三木、西脇、小野など数十の物件を見てまわりました。デジカメ写真がアルバムになるほど撮り、整理しました。
そうしてようやく決めようと思ったのが、小野市の物件でした。浄土寺近くの古家です。3月はじめには「もうこれにしよう」と妻と話して、小野市の不動産屋で《重要事項説明》を受けるまでになりました。ところが現地は市街化調整区域であり、まわりには建築条件で売れなくなった新築のややこしい家があります。なによりも近所の人に聞いたのでは、大きな鶏舎があり、臭いが相当きつい日があるということでした。これで買う気がなくなり、「振り出し」に戻ってしまいました。
そんなときに小野市の物件を紹介した業者が、「土地を買って家を建てるのはどうか」ともちかけてきたのです。その不動産屋の案内で現地を見たのが3月5日。いいところだったので、予算オーバーになるけど家を建てる話になり、土地を買うことにしました。重要事項説明を受け、相手方と契約支払いをしたのが17日。トントン拍子というか順調に売買は終りました。これから建築申請をして家を建てることになります。夏までには建築を完了して移住したいと思っています。(実際は大きくずれ込み、移住は12月になりました)
家を建てるとなると大ごとでいままで敬遠していたのですが、このたびは意欲が出てきました。「ことがうまく運ぶときはすんなり運ぶものだなー」と妙に感心しています。それにしても昨年秋、神戸市北区の農家の話が駄目になってからの半年間がずいぶん長かった気がします。特に1月から2月にかけてはほんとによく走り回りました。
あのあたりは耕土改善がすすんでおり、田んぼにパイプが入っていますから、一反ほど借りて黒豆や大豆も作れるかな、と夢を広げています。(その通りになりました) …… 人との出会いと同じで、縁があればそこに住むようになるのだな。そう実感する場所に出会った気がします。お宅付近のように、いわゆる「絵になる里山」ではありません。里山というよりなだらかな丘です。この歳になって田舎暮らしをするのだから、これくらいがちょうどいい。そう思います。
少し先になりますが、家が建ったらまたお知らせしますのでお立ち寄りください。
このたびは心にかけていただいて、ありがとうございました。 ……。
きのう、『田舎暮らし』のための空き家探しをしたチラシを載せました。そのチラシ作戦は駄目でした。畑仕事をしている人に声を掛け、チラシを渡して頼みましたが連絡は1、2件あっただけです。中味を聞くと、まだバブル時代の夢を見ておられるようでお話になりませんでした。
そこで不動産屋に頼むしかないと思い、片っ端から電話を掛けて、田舎暮らし物件の情報をお願いしました。するとファックスで空き家情報がどんどん入るようになりました。それを見て、よさそうな物件を不動産屋さんに案内してもらって見てまわりました。でもほとんどは『古民家風の農家』でなく、田園の山すそに拓かれた新興住宅地の空き家でした。バブルの頃に辺鄙なところにも家が建ち、それが空き家になっている物件でした。
その流れを要約します。
○ 10月 神戸市北区の農家の話が消滅する。 ⇒ すぐにチラシをつくり、神戸市北区、三田市などの田舎に行って畑仕事をする人に声を掛け、チラシを渡す。 ⇒ 11月 ~ 12月 不動産屋さんに連絡をして田舎暮らし物件を紹介してもらい、見てまわる。同時に田舎に住む知人友人に空き家物件を紹介してもらう。 ⇒ 12月 篠山の知人宅を訪ね、不動産屋にも来てもらって相談する。篠山の山奥の『競売物件』を入手して丹波に住むことにする。 ⇒ 年が明けて1月 その物件をあきらめる。 ⇒ 1月~2月、それこそ必死になって空き家物件を見てまわる。 ⇒ 小野市の浄土寺近くの空き家に決め、『重要事項説明』を受ける。 ⇒ 巨大鶏舎が近くにあること・市街化調整区域で改築が難しいことでやめる。 ⇒ 三木市口吉川町の土地を見て気に入り、家を建てることにする。2006年3月中旬のことでした。
片付けていたら手紙のコピーが出てきました。暮れに競売物件を購入することに決めたときお世話になった知人宛てです。長い手紙ですが……。
2006年3月19日
やっと本格的な春になりそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、田舎暮らしの場所探しではお世話になりました。ようやく決まりましたので、報告しようと手紙を書いています。
年が明けて早々(2006年)、競売物件をインターネットで検索して、実際に見てまわることにしました。お宅の近くの競売物件を買う際にも参考になると思って。(知人と相談して「そうしよう」と決めていました)物件はユニトピアの近くでした。
外観から見ると、そう古い家という感じではありません。家のまわりを見ていると、裏の戸が開いていました。競売物件を見に来ただれかがこじ開けたのでしょうか。とにかく中に入ってみました。中はまさに夜逃げの跡のように衣服が散乱していたり、汚れたままになっています。あのあたりは下水工事が完了しているようですが、あの家だけは汲み取りのコエタゴやヒシャクが置いてあり、便所や風呂はひどい程度に荒れています。外観と違い、内部は汚れも荒れもひどいと思いました。
そんな室内を見回していると、ふと「兵どもが夢の跡」というコトバが浮かびました。戦をしたのではなく、意味が違いますが、借金に借金を重ね、あれこれ悩み、ここを捨てて逃げざるを得なかった人の苦悩が漂っている気がしました。とても内部の改装だけでは住めないと感じました。その後柏原地裁に行って、競売物件の資料を閲覧しました。競売物件があんなに詳しく調べてあるのを、はじめて知りました。土地の評価、家屋の評価、借金と本人の現状が載っています。また「兵ともが……」がよみがえり、とても素人の自分たちが手を出せないと感じました。
それ以来、お宅の近くの家(競売になる予定の)に対する意欲が失せ、なんとか自分たちの足で田舎暮らしのできる場所を見つけようと走り回ることにしました。
知事認可の不動産屋のリストをインターネットで検索して、片っ端から電話を掛けて資料を送ってもらい、現地を見にいく作戦に出ました。社、三田、篠山、谷川、淡路島に渡って一宮町、津名町、神戸市北区、三木、西脇、小野など数十の物件を見てまわりました。デジカメ写真がアルバムになるほど撮り、整理しました。
そうしてようやく決めようと思ったのが、小野市の物件でした。浄土寺近くの古家です。3月はじめには「もうこれにしよう」と妻と話して、小野市の不動産屋で《重要事項説明》を受けるまでになりました。ところが現地は市街化調整区域であり、まわりには建築条件で売れなくなった新築のややこしい家があります。なによりも近所の人に聞いたのでは、大きな鶏舎があり、臭いが相当きつい日があるということでした。これで買う気がなくなり、「振り出し」に戻ってしまいました。
そんなときに小野市の物件を紹介した業者が、「土地を買って家を建てるのはどうか」ともちかけてきたのです。その不動産屋の案内で現地を見たのが3月5日。いいところだったので、予算オーバーになるけど家を建てる話になり、土地を買うことにしました。重要事項説明を受け、相手方と契約支払いをしたのが17日。トントン拍子というか順調に売買は終りました。これから建築申請をして家を建てることになります。夏までには建築を完了して移住したいと思っています。(実際は大きくずれ込み、移住は12月になりました)
家を建てるとなると大ごとでいままで敬遠していたのですが、このたびは意欲が出てきました。「ことがうまく運ぶときはすんなり運ぶものだなー」と妙に感心しています。それにしても昨年秋、神戸市北区の農家の話が駄目になってからの半年間がずいぶん長かった気がします。特に1月から2月にかけてはほんとによく走り回りました。
あのあたりは耕土改善がすすんでおり、田んぼにパイプが入っていますから、一反ほど借りて黒豆や大豆も作れるかな、と夢を広げています。(その通りになりました) …… 人との出会いと同じで、縁があればそこに住むようになるのだな。そう実感する場所に出会った気がします。お宅付近のように、いわゆる「絵になる里山」ではありません。里山というよりなだらかな丘です。この歳になって田舎暮らしをするのだから、これくらいがちょうどいい。そう思います。
少し先になりますが、家が建ったらまたお知らせしますのでお立ち寄りください。
このたびは心にかけていただいて、ありがとうございました。 ……。