古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

裏山を眺めて〈正義〉をおもう

2021年06月19日 17時53分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 三歳下の弟は大坂の南のほうで中学の教師をしました。社会科を教えたり、障害児教育に打ち込んだり、人権をまもる運動をしたり、いつも自分の正義と対話しながら生きてきました。退職後は団地の老人会長を長くつとめ、規模の大きな家庭菜園(有機)に精を出し、できた野菜を分かち合い、まわりの人とかかわりながら、自分の正義への思いをつらぬいてきました。
 母は64歳から神戸に暮らすようになり(父も)、ぼくが召集をかけると4人の兄弟と連れ合いは集まってくれました。昨日葬儀に大阪の南に出掛けて「いつも、いつも、電車を乗り換え乗り換えして、はるばる神戸まで夫婦で来てくれてたんだ」とあらためてその苦労を思いました。
 敗戦後の、子どもの頃の、きょうだいの思い出は、時間をかけて思い起こします。

 電撃殺虫器にはひと晩でムシがビッシリつきます。蚊も蛾もいるでしょう。遠くから呼び寄せてしまうムシもいるでしょうが、野菜の葉っぱに卵を産み付ける蛾も退治してくれています。すごい数です。
「ムシも命があるんだよ」と言われました。でも畑をやってるとやはり。せめて「ムシ塚」を作って花を供えます。下の畑にはムシ塚をつくっていたのですが、こちらではまだ。
 百合園の大きな花が咲いています。ムラサキシキブも花が咲いています。小さい、小さい花です。

 見えますでしょうか。
 
コメント
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