24年前、1997年3月31日にぼくは退職しました。そして1月から入院している父の看病をしました。父は5月に亡くなりました。(行年89歳)
父の死後、退職したばかりで、時間も元気もあるので、かねて関心のあった「四国遍路」を思い立ちました。
7月に徳島県と高知県の札所/9月に愛媛県と香川県の札所/を自動車を運転して巡拝しました。父の供養という気持ちもありましたが、物見遊山気分で、道子さんと二人。
よく四国遍路は『同行二人』(どうぎょうににん)といいますが、「二人」(ににん)とは自分ともう一人は弘法大師です。孤独と向き合って、数十日ひたすら歩きます。「亡き人を偲ぶ」/「人生を思う」/「運命と対決する」/「生きる意味をもとめる」 …… 夫婦で、車で、巡拝するのとまったくちがいます。
でも四国遍路には関心があり、その「歩き遍路」で88ヵ所を巡拝した人の本を読むのは好きです。いままで何十冊と図書館で借りて読んできました。
このたびも図書館で借りた本を読みました。
『八十八か所歩き』 黒岩晶 著 (文芸社・2014年刊)
60歳代のおじさんが、定年退職をして思い立ち、八十八か所を歩きとおした本です。お寺の解説なんか一切しないで、自分の道中の苦労を書いてあり、最後まで読めました。自費出版かな。世の中を批評するようなコメントがときどきあり、なじめませんでした。
『四国遍路』岩波新書 2001年刊 辰濃和男 著
朝日新聞の天声人語を長く担当した著名な人の遍路体験ですが、「通し打ち」でなく、県別に区切って歩き遍路をしています。忙しい人なのでしょうが、区切りの遍路は、読者から見るとその苦労がちがいます。それに自分の体験だけでなく、あれこれ考える。それを書く。それが遍路体験を読もうと思う読者には邪魔になる。
ぼくが一番好感をもって何度でも読み返したくなる本は、『私のお遍路日記』-歩いて回る四国88ヵ所 佐藤光代 著 です。いまも手元に置いて、また読み返そうを思っています。
父の死後、退職したばかりで、時間も元気もあるので、かねて関心のあった「四国遍路」を思い立ちました。
7月に徳島県と高知県の札所/9月に愛媛県と香川県の札所/を自動車を運転して巡拝しました。父の供養という気持ちもありましたが、物見遊山気分で、道子さんと二人。
よく四国遍路は『同行二人』(どうぎょうににん)といいますが、「二人」(ににん)とは自分ともう一人は弘法大師です。孤独と向き合って、数十日ひたすら歩きます。「亡き人を偲ぶ」/「人生を思う」/「運命と対決する」/「生きる意味をもとめる」 …… 夫婦で、車で、巡拝するのとまったくちがいます。
でも四国遍路には関心があり、その「歩き遍路」で88ヵ所を巡拝した人の本を読むのは好きです。いままで何十冊と図書館で借りて読んできました。
このたびも図書館で借りた本を読みました。
『八十八か所歩き』 黒岩晶 著 (文芸社・2014年刊)
60歳代のおじさんが、定年退職をして思い立ち、八十八か所を歩きとおした本です。お寺の解説なんか一切しないで、自分の道中の苦労を書いてあり、最後まで読めました。自費出版かな。世の中を批評するようなコメントがときどきあり、なじめませんでした。
『四国遍路』岩波新書 2001年刊 辰濃和男 著
朝日新聞の天声人語を長く担当した著名な人の遍路体験ですが、「通し打ち」でなく、県別に区切って歩き遍路をしています。忙しい人なのでしょうが、区切りの遍路は、読者から見るとその苦労がちがいます。それに自分の体験だけでなく、あれこれ考える。それを書く。それが遍路体験を読もうと思う読者には邪魔になる。
ぼくが一番好感をもって何度でも読み返したくなる本は、『私のお遍路日記』-歩いて回る四国88ヵ所 佐藤光代 著 です。いまも手元に置いて、また読み返そうを思っています。