古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

デッキ柵の〈土台づくり〉に手間取りました。

2021年10月06日 21時33分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 ウッドデッキは、幅広で、低い、座れる柵にする。その柵は単管パイプ(足場パイプ)にする。
 やったことのない工事でした。土台をセットし、組み立ててみましたが、グラついて安定しません。何度かやり直し、床材に穴をあけてパイプを通し、土台のブロックにセメントを流し込み、やっとビクともしない柵になりました。

 苦労しましたが、この上に天然木のすわれる柵を取り付けます。

 先日の日曜日は、子や孫に84歳の誕生日を祝ってもらいました。ほんとうは今日が誕生日です。「二人で何かお祝いしよう」。おじいさんおばあさんは〈フジキ・スイーツガーデン〉で、ケーキとコーヒーをいただきました。ふだんはなかなか行かない喫茶店です。

 この頃、逝ってしまった、親しかった芦屋の親友や山南町に引っ込んでからもよく交流のあった先輩を、よく思い出します。40歳になる前の、一番しんどかったけど、おそらく一番輝いていた、持てる能力を一番発揮していた、あの数年間を、ともにたたかった戦士同志として。
 おそらく、この世よりあの世のほうで話がはずむ。血がわく。脳細胞が活性化する。
 41歳からも、学校ではあれこれ仕事をしましたが、面倒な指導を引き受けても、指定研究を受けても、校務を背負い込んでも、どこか〈余裕のヨッチャン〉でした。

 長く教員をしていると、卒業アルバムとか卒業文集とか職員写真とか教材や書籍がたまります。それは田舎に引っ越すときに全部処分しました。教え子たちが同窓会をするといっても、思い出す資料は皆無です。頭にある記憶だけ。69歳のとき、それまでの人生をゼロにするつもりで、田舎に引っ越しました。
 過去をゼロにして〈今〉を生きる。いまもそんな気持ちです。しかし、じわじわとしみ出すものがある。
 いまは、そんな〈しみ出し〉も「おう、よしよし」とあやしながら、体を動かせるのを感謝して生きています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする