古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

畑でサツマイモのツルを燃やしました。

2012年11月11日 02時06分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年はどうしたことか大豆の一部がなかなか枯れて葉を落としません。一方ではサヤが弾けて大豆が落ちはじめています。そこで営農の黒大豆みたいに葉落としをし、数日して草刈機で刈ってしまいました。それをシートを広げて並べています。                                                  
 収穫13キログラムだった去年より多いようですがムシはどうだったか。脱穀選別してみないとわかりません。地面に敷いたシートは二重にし、夜露にかからないよう二重のシートをかぶせ、昼間は干してカラカラにし、18日(日)頃踏んで脱穀するつもりです。娘たちや孫たちがやってみたいようなので。さあ、いくら収穫できるでしょう。
               
 ブロックを積んだ焼却場の横に、サツマイモのツルや落花生の葉、トマトやオクラを片づけたものなどが山積みになっています。きのうはこれを燃やして処分しました。軽トラ一杯以上ありますが、火力の強い乾燥した竹を燃料にして二時間で燃えてしまいました。できた灰が手前の衣装函いっぱい。さめてから畑に撒きます。
               
 タマネギやイチゴの畝もつくりました。近く苗を植えます。土手の草も枯れ色になってきたので、今年最後の草刈りをします。そして来年の4月頃まで草刈りから解放されます。
 田辺聖子の『おかあさん 疲れたよ』を読了。ぼくは最後までだれにもとりつけませんでした。だれのおかあさんなのか。大いなる存在なのか。「昭和」へのレクイエムなのでしょうが、ぼくにはピンときませんでした。大阪砲兵工廠・昭和20年8月14日のB29の爆撃描写は、さすがあの世代の人でした。
「昭和」という時代は、ぼくには、加賀乙彦の『終らざる夏』/柏木兵三の『長い道』/野坂昭如の『火垂るの墓』/江崎誠至の『ルソンの谷間』がぴったり心に寄り添います。
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絵本『おとなになれなかった弟たちに……』

2012年11月09日 03時36分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 アマゾンに『おとなになれなかった弟たちに……』(偕成社発行)という絵本を注文しました。
 米倉斉加年さんが絵も文も書いた本です。彼は俳優・演出家ですが絵本も書いています。この絵本は、1983年(昭和58年)に出版されてから読み継がれ、いま46刷です。
 米倉斉加年さんは1934年(昭和9年)生まれで、ぼくより三つ上です。戦時中そして敗戦後のひもじさを体験した子どもで、自分のことを書いています。
 これから読む方もおられるでしょう。感想はひかえます。
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シモンの天ぷらは「上品な」味がします。

2012年11月08日 04時13分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 夕方、うちの畑の横の田んぼでは、営農組合に入っている村の人たちが黒大豆の「葉落とし」をしています。きのうは朝から一日中この作業をしておられました。足腰の疲れは想像を越えます。12月初旬の早期出荷のためにはいま葉を落とし、乾燥を早め、脱穀選別するしかありません。時期が遅れると価格が「ぐーん」と下がる仕組みになっているのです。「ご苦労さま」と声を掛けるしかできないのがつらい。
 シモン一号芋の葉はシモン茶にして毎日飲んでます。体調がいいような感じ。茎は佃煮風にするとキャラブキみたいに美味しい。箸がすすみます。シモン茶も佃煮風の茎も今年はじめて試しました。どちらも「まあまあ」でなく「エクセレント!」。クセになりそうです。
 シモン茶は自家製がなくなれば市販されているのでそれを飲めばいい。しかし佃煮風の茎は自家製しかないので、きのうは残り5株のシモンの茎を二人でせっせと収穫しました。ハサミでツルから切り離しながら、思い出すのはあの動物の乱暴狼藉。
 7月にツルを切って「千鳥」に植えたシモンは17株。日に日に盛りあがるように繁り、「シモンは大収穫になる!」とほくほくでした。それが8月19日のブログに書きましたように無残にも全滅しました。あれが無事に育っていたら……。
 きのうは道子さんがシモンを天ぷらにしました。「ああ、この味だ」。ほのかな甘味の「上品な」味。シモンの天ぷらでしか味わえません。 
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『シモン一号』を収穫しました。

2012年11月07日 01時53分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 最後まで残していた『シモン一号』を半分収穫しました。苗を10本植えましたから5本分です。写真のように苗カゴいっぱいできました。豊作といっていいでしょう。
                
 シモンは植えたけど、太い根ばかり張って芋はまったく出来なかった年もあり、年によってつくったりつくらなかったり。でも今年は順調でした。あまり立派なツルなので、先端を切って他の畝にも植えました。広い畝だったので「千鳥」に植えて17本。これがまた実に勢いよく生長し、アッという間に盛りあがるようにツルが繁りました。
「こんなにシモンができたら、知人に送れるな」とほくほくして眺めていました。ところが8月の末、動物が荒らし、ひと晩でツルの山が消滅してしまいました。アライグマでは、いくら集団で襲ったとしても、あんなにひどく荒らせないでしょう。イノシシの仕業です。
「よーし、こうなったらシモンだけは死守しよう」とこちらも意地です。動物ネットをかぶせ、鉄筋を曲げて竹を地面にとめて、残った元のシモンを守りました。そして途中から電気柵をしたので、シモンは守りきることができました。その気持ちがシモンに通じたのか立派な出来です。
 今年試したシモン茶は飲みやすく、いかにも健康にいい味です。いまも飲んでいます。ネットで調べると葉や茎は冷凍しておいて食べてもいいようです。ということで茎を道子さんが調理しました。これがまたおいしい。おいしくて、健康によくて、しかもタダの副産物ですから一石三鳥。
 来年もシモン一号をつくることにします。一度つくると5年は間を空けないと駄目だそうですから、その畝をしっかり覚えておかなくては。今年は畑の一番西の畝(下)と一番東の畝(上)につくりました。 
 
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『田舎料理バイキング』(篠山東部特産館)を食べました。

2012年11月06日 04時40分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「古民家を再生したり田舎暮らし志向をサポートする」という篠山の『福住まちづくり』を見学したい。それと田舎に暮らす先輩を訪ねたい。
 雨が降って畑仕事はできないし、きのうは篠山に出掛けました。雨だし、紅葉はまだだし、車で走りまわっただけですが、いい骨休めになりました。
「田舎暮らしは丹波篠山」という雰囲気が阪神間あたりにはありますが、「いざ!」となるとどうでしょうか。福住の住吉神社に寄ったときちょうど地元の人が来られたので、庫裏の庭を見せてもらいました。説明を聞きながらこの地の様子をお聞きしたら、やはり「若い者はなかなか居つかず年寄りのまちになってしまう」と話しておられました。
 昼前にハートピア篠山の『滞在型農園住宅』に寄ってみました。ここには、田舎暮らしをしようと「空き家探し」をしていた2005年秋に、寄ったことがあります。あれから7年。10軒の住宅が建って10年になるのですが、いまも希望者は多く抽選のようです。(賃貸で3年間が期限)年間42万円負担しても週末カントリーライフと農園をたのしみたい人がおられるのですね。
              
 中央の道路(行止まりの園内の道)をはさんで5軒ずつ。各戸の前には75平米の畑がついています。それだけでは足らず前の畑を借りて黒豆をつくっている人が多いとか。地元とのつながりとか生活感のないところが気になりました。
 昼食は道路をへだてたところに建っている東部特産館で。『田舎料理バイキング』が1000円です。              
 そういえばやはり田舎料理のバイキングで人気のある『かんでかんで』にこの数年行ってませんが、相変わらず満員なのでしょうか。またあそこで食べてみたくなりました。
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秋たけなわです。

2012年11月04日 04時04分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 金曜日、西宮の芸文センターに行きました。定期演奏会でした。ベートーヴェンの『皇帝』(ピアノ:ダン・タイソン)と交響曲第7番で聴きごたえがありました。そのとき出会った旧友が「辻井伸行さんのコンサート、チケットがとれなかった」と残念がっていました。「ぼくはパソコンでとれたよ」とつい自慢し、パソコンをすすめました。すると彼が言いました。
「ぼくは元気に暮らしているし、物凄く忙しい毎日なんだ。妻が <現役で勤めているときより忙しいね> と言うくらいだからね。息子も、<お父さん、いくら元気な毎日でも、パソコンに首突っ込んでこれ以上忙しく立ち回るのは無理だよ> と言うしね」
 街に暮らすおじいさんは、ウエストポーチや胸ポケットから手帳出してスケジュールを見たりして、元気いっぱいです。医者通いもあるけど。やはり75歳前後の人は、というか70歳代の人は、<パソコンをする人としない人>に分れますね。潜在的欲求はかなりあるようですが……。
                
 写真は、中国道の東条インターチェンジから町のほうに下りていく道の『モミジバフウ』の並木です。楓(ふう)の紅葉は落葉樹のなかでも早いのですが、いい色合いになっています。今年はどこともいい紅葉が見られそうです。
                
 色づいたフウの並木道をコスミック・ホールのほうに下っていく途中にビニール・ハウスの苗屋さんがあり、付属のドッグランに人や犬が集っていました。なにがあるのでしょう。野次馬じいさんは早速寄ってみました。
 今年は春にいろいろあって、コイモの畝に10個以上欠株ができました。7月に「もう売ってないだろうな」と思いながらこの苗屋さんに寄ってみたら、「売れ残りの苗ですが」とコイモのポット苗10数個をくださいました。それが掘ってみたら、どれもよく出来ています。
 きょうは犬の訓練でみなさん、集っておられるようでした。「どうして苗屋さんにドッグランがあるんだ」と不思議でしたがときどきは使用しているのですね。びっくりするような大きな冬瓜が店先に並べてあり、「よかったらどうぞ!」と言われて一つもらいました。(無料です。ついでに富有柿も5個ほど。大らかないいお店でしょ。)直径20センチ以上長さ50センチ以上のずっしり重い冬瓜です。娘たちに半分ずつもらってもらいます。切り分けるのは大変そうですが若い者にまかせます。
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『満蒙開拓青少年義勇軍』

2012年11月02日 04時26分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 この畝は先日耕運して土寄せをしました。ここにもうすぐ六条大麦を播きます。麦は「踏んで土を少し固めてから播く」とネットに書いてあったので、長靴で一往復踏みました。1~2月頃「麦踏み」をしますが、そのとき沈み込まないようあらかじめ踏み固めるそうです。畑で野菜をつくるにしても、昔からのいろんな智恵が詰まっているのですね。
 しかし野菜づくりの本にはあれこれ書いてあり、「これはどうかな」と思うこともあります。
 例えばサツマイモのツルですが、「5センチくらいに切り刻んで、落葉と混ぜ、畝に梳き込むのがいい」と書いてある本がありました。そこでこの畑をつくるようになった2008年には、その通りにやってみました。この年は広い畑をつくりはじめたので10メートルの畝8畝にサツマイモを植え、沢山できました。みんなに芋掘りをしてもらい、山ほどツルが残りました。それを「押し切り」で、4日がかりで延々切り刻んでいきました。
次に芋畑に梳き込んで畝をつくるのですが、それも手間のかかる仕事でした。「ツルをそのまま干して畝の底に入れればいい」と書いてある本もありましたが、それも大仕事。
 大豆畑トラストを立ち上げる前、1999年からサツマイモはつくっていますが、ツルの処分は燃やすのが一番です。ツルそのものが炎をあげて燃えることはありませんが、少々生のツルでも強い火力で燃やせば灰になります。
 というわけで畑の残滓を連日燃やしています。裏山の竹や製材所(元)にもらった廃材を火力にして。竹はすぐに燃えてしまい、次々くべるのに忙しいですが、火力はあります。もう少しで今年のツルは処分完了です。
 きょうは『満蒙開拓青少年義勇軍』のことを書くつもりでしたが、筆がすすみません。
 なぜかというと、退職後10年近く情熱を注いだこのテーマを「手放す」ことにしたからです。先日から本棚を整理し、部屋の本棚3本を2本にしました。元義勇軍の少年だった方々とやりとりした手紙や取材ノート、それにぼう大な資料も処分しました。引っ越すときに「これだけは」と残しておいた本もあらかた処分しました。絶対手放す気になれなかった本を処分する自分を見ている、もう一人の自分がいて、ぼくのすることを、黙って見ていました。
 2006年秋、引っ越すとき大量の本や資料を処分しました。そうして「田舎暮らし」をはじめたつもりでした。でもまだなにかをまとっていました。6年が過ぎて2012年秋、まとっていたなにかを脱いだ気持ちです。75歳になってそんな心境になったのでしょうか。でも本棚はまだ2本あります。
 死んだとき、あの世へは、紙一枚も持って行けないことはわかっています。……。
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龍神さま、ひとびとをお守りください。

2012年11月01日 02時51分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 人生に生老病死は避けられませんが、それでも人間はなるべく平穏な《生き様》を望みます。ぼくの人生も、まわりのひとたちの人生も、なるべく < おだやかに > 過ぎていきますように。
 勝手な願いです。元元人間は<勝手な生き物>ですから、きのうも厚かましく龍神さまにお願いしてまわりました。写真は我が家から200メートル山のほうに行ったところにある『蛇が池』です。堤のセイタカアワダチソウは満開です。湖面に冬の鳥が飛来していますが、写真では見えにくいですね。
               
 大池 ⇒ 佐の広池 ⇒ 福地池 ⇒ 九文小池 ⇒ 蛇が池 ⇒ 施無池 ⇒ うちの畑の塚 と軽トラでまわりました。うちの村にはまだ池があるのですが、草が刈ってなくて草の海を漕いでいかなければなりません。遠くから拝むだけにしました。アレチヌスビトハギにふれないように慎重に歩いたつもりでしたが、やっぱり靴やズボンに種がついてしまいました。この外来植物はいまあちこちにはびこっていますね。
 どうして龍神さまにお願いするようになったかというと、ぼくたちがこの地に移り住んだとき、いろんな友人知人に来てもらいました。ある霊能力の秀でた方が来られたとき、言われたのです。
「この池には龍神さまがおられます。生卵を供え、お酒と塩をまいて、お祈りしましょう」
 そういえば蛇が池には、ここの蛇が西中の山に登り、龍神となって天に昇ったという伝説があります。「現在、世界の龍が活動期に入っている」と書いてある本もあります。
 ほんとうはどう拝むのかかわからないので、パワーのある音・不動明王のマントラ「のうまく さんまんだ ばーざらだ ……」を三度唱えました。
 いろんな人の生老病死が頭の中で渦巻きます。どうか おだやかに おだやかに おだやかに。 
 
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