古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『満蒙開拓青少年義勇軍』

2012年11月02日 04時26分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 この畝は先日耕運して土寄せをしました。ここにもうすぐ六条大麦を播きます。麦は「踏んで土を少し固めてから播く」とネットに書いてあったので、長靴で一往復踏みました。1~2月頃「麦踏み」をしますが、そのとき沈み込まないようあらかじめ踏み固めるそうです。畑で野菜をつくるにしても、昔からのいろんな智恵が詰まっているのですね。
 しかし野菜づくりの本にはあれこれ書いてあり、「これはどうかな」と思うこともあります。
 例えばサツマイモのツルですが、「5センチくらいに切り刻んで、落葉と混ぜ、畝に梳き込むのがいい」と書いてある本がありました。そこでこの畑をつくるようになった2008年には、その通りにやってみました。この年は広い畑をつくりはじめたので10メートルの畝8畝にサツマイモを植え、沢山できました。みんなに芋掘りをしてもらい、山ほどツルが残りました。それを「押し切り」で、4日がかりで延々切り刻んでいきました。
次に芋畑に梳き込んで畝をつくるのですが、それも手間のかかる仕事でした。「ツルをそのまま干して畝の底に入れればいい」と書いてある本もありましたが、それも大仕事。
 大豆畑トラストを立ち上げる前、1999年からサツマイモはつくっていますが、ツルの処分は燃やすのが一番です。ツルそのものが炎をあげて燃えることはありませんが、少々生のツルでも強い火力で燃やせば灰になります。
 というわけで畑の残滓を連日燃やしています。裏山の竹や製材所(元)にもらった廃材を火力にして。竹はすぐに燃えてしまい、次々くべるのに忙しいですが、火力はあります。もう少しで今年のツルは処分完了です。
 きょうは『満蒙開拓青少年義勇軍』のことを書くつもりでしたが、筆がすすみません。
 なぜかというと、退職後10年近く情熱を注いだこのテーマを「手放す」ことにしたからです。先日から本棚を整理し、部屋の本棚3本を2本にしました。元義勇軍の少年だった方々とやりとりした手紙や取材ノート、それにぼう大な資料も処分しました。引っ越すときに「これだけは」と残しておいた本もあらかた処分しました。絶対手放す気になれなかった本を処分する自分を見ている、もう一人の自分がいて、ぼくのすることを、黙って見ていました。
 2006年秋、引っ越すとき大量の本や資料を処分しました。そうして「田舎暮らし」をはじめたつもりでした。でもまだなにかをまとっていました。6年が過ぎて2012年秋、まとっていたなにかを脱いだ気持ちです。75歳になってそんな心境になったのでしょうか。でも本棚はまだ2本あります。
 死んだとき、あの世へは、紙一枚も持って行けないことはわかっています。……。
コメント
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