古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

畑はカラカラです。畝間に水を流しました。

2013年10月05日 03時23分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 黒大豆のサヤはふくらんできたようです。でも(白)大豆のサヤのふくらみがイマイチ。まだ勢いのあるべき雑草「タカサブロウ」が枯れています。余程乾燥しているのでしょう。こんな時季に畝間に水を流すなんておかしいですが、太いホースにつなぎ替えて、さっと畝間潅水しました。
 水をやりながら「なんでこんなになるまで気づかなかったのか」と思い返しました。
○ 9月はじめに「もういいでしょう!」というほど雨が降りました。8月後半からの大雨やゲリラ豪雨のニュース、大雨警報・避難勧告とあちこち大変でした。「ダムが空だ。渇水だ」というニュースも大雨で消えてしまいました。うちの畑もしっかり水を含み、龍神さまに〈どうかひと休みしてください〉とお願いしようと思いました。
○ 9月半ばにはしっとりした畑の縁に満珠沙華が咲きはじめ、作物たちも実りの秋をむかえようとしていました。まわりの田んぼには倒伏している山田錦もありましたが、これから大雨が降りさえしなければ無事に稲刈りができるだろう。「できれば稲刈りまで降ってほしくない」と内心田んぼを応援していました。
○ 9月後半は晴れがつづき、畑は乾いていきました。でも「多少乾いても作物はしっかり根を張ってるし、底のほうはちゃんと水を含んでいる」と思ってきました。出しっ放しだった45ミリ・30メートルの畝間潅水用ホースは巻いて片付けました。
○ 山芋のツルが枯れてしまいました。「もうそんな時季かな」と思いました。雑草の勢いが弱くなりました。「秋だからな」と思いました。もっと葉っぱや土を見て、植物の声を聞くべきでした。「水は大丈夫!」と思い込んでいました。
 そして雨の予報が出た前日に畝間潅水です。せめて一週間前にあげるべきでした。長生きして「経験があるから」と目の前のモノを見ないで、自分勝手な思い込みで判断する。反省しました。
 もっと素直に、そして謙虚に、葉や土を見ます。
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同窓会で鳥取に出掛けました。

2013年10月04日 05時00分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 郷里で同窓会があり、車で鳥取市に出掛けました。
「車で遠出するんだったらついて行く」と道子さんも。76歳になったし、居眠りはするし、好奇心はいまだ旺盛でキョロキョロするし、ま、心配でしょうね。母・妙子さんはショート・ステイして「いってらっしゃい」。
 山陰の鳥取県から山を越えて関西の都会に出てくる難所として、昔は『戸倉峠』『春木峠』の名をよく耳にしました。雪が積もり自動車が難渋するのです。いまでは中国山脈を突き抜けるトンネルができて、《山陰 ⇒ 山陽》 が飛躍的にはやくなりましたが。
「一度は見ておこう」と、6月には戸倉峠を走ったし、今度は春木峠を走ってみようと思ったのです。
 途中で鳥取砂丘に寄って『砂の美術館』というのを見ました。砂に水を吹き掛け、たたいてかためた彫刻です。それがまー、生きているように実にリアルです。
                  
「ほんとに砂だけでつくったのか」と間近に寄って見ました。
 同窓会で一泊したあと、きのうは『水と緑のオアシス / とっとり2013』という《緑化フェア》を見ました。湖山池の一角につくられたナチュラル・ガーデンです。全体をゆっくり見て歩くと半日かかるでしょうが、会場を案内してくれる「運転手付きの自転車の乗り物」(「ベロ・タクシー」という名だそうです)で見てまわりました。
 帰るとすぐ着替えて畑に出ました。水をやらねば。電気柵に通電(「夜だけ通電」にセットしてある)がはじまる頃まで仕事をしました。
 〈旅〉 という非日常から 〈野良仕事〉 の日常に戻って、なんだかホッとしました。
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ルンルンな小豆づくりです。

2013年10月02日 03時03分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 『古希からの田舎暮らし』のブログ発信は2009年からの5年間で1000回を越えましたが、そのうち何回かは「道子さんの小豆(あずき)をつくる涙ぐましい苦労」を伝えてきました。特に小豆の畝に陣取り、孫の〈蝉取り網〉を振り回して「アズキノメイガ」を捕らえようとする姿を見て、「こころのなかで頭をさげて小豆を食べよう」とココロヒソカに思ったりしました。
 アズキノメイガは実に性質(たち)の悪い蛾です。小豆のサヤに入って、できたての柔らかくて、おいしい小豆を食べるのですが、「苦労してつくる人間のために、キレイなサヤをちょっと残しておこう」なんてカケラも考えません。どのサヤも食べさしにするのです。
「アズキノメイガは地上2メートル以上は飛ばない」とモノの本に書いてあったので、おととしは高さ2メートルの防風ネットを張って、その囲いの中でつくりました。でも網の向こうにおいしい小豆があれば、ぼくだって網を越えます。アズキノメイガは我が物顔に小豆の畝を食い荒らしました。
 ほんとに粘り強い道子さんですが、さすがにイヤになり、とうとう去年は小豆づくりをやめてしまいました。でもことしは気を取り直して、今度は防風ネットでトンネルをつくり、その中で小豆をつくることにしたのです。4ミリの防風ネットでも熱がこもったりしないことは、事前にトウモロコシをつくってたしかめました。
 で、その成果は。
                 
 防風ネットがかかっていてわかりにくいですが、小豆はきれいなサヤをつけています。ムシは入っていません。道子さんはいま、ムシ食いを心配することなく、ルンルン気分で水やりなどしています。
 収穫までいかねば成果はわかりませんが、ことしは大丈夫なようです。
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きのうの朝焼けはきれいでした。

2013年10月01日 06時21分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
   
 きのうの早朝、朝刊を見ていてなにかの気配にふっと顔をあげたら、写真の〈朝焼け〉が目に飛び込んできました。ここに暮らすようになってあと2ヵ月で7年になりますが、何度か見た朝焼けのなかで一番です。大きいサイズでアップしました。
 しばらく雨が降りません。畑の雑草さえ元気がなくなりました。水が必要です。畑の作物全体に時間をかけて水やりをしました。
 ブログのコメントで『山芋のツル焼き』(篠山市)を教えていただきました。撮られた映像を見ると、山のように積まれたツルが、大きな炎をあげて燃えています。
 篠山には震災直後の2年間暮らしたことがあり、篠山町のアパートから栗柄峠を通って〈草山温泉・観音湯〉にときどき出掛けていました。あの途中でそんな行事をするようになったのですね。ぼくの「田舎暮らし」が実現したのは、あの篠山での2年間のアパート暮らしのお陰です。田舎町とその郊外の、朝夕の情緒が、体中にしみ込み、定年退職後の人生を、「田舎暮らし」へと強く方向づけました。
 若者のようなエネルギッシュな野心ではありませんが、何があってもへこまない田舎への強い志向が、退職後10年を経て実現したのです。
 秋、またひまをつくって、道道秋の山山を見ながらのんびり運転し、観音湯にひたってみたくなりました。
 
 
 
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