H・アール・カオス公演の続きです。
ラヴェルの『ボレロ』を観るのは2度目です。
赤い岩のようなセットが半円形状に置かれ、
それに沿うように4人のダンサーがいます。
そして舞台中央の、赤い花(花びら?)でできたサークルの中で
メインの白河直子さんが踊ります。
途中、踊りながら赤い紙吹雪を撒き散らし、
舞台全体が赤で染まっていきます。
それはまるで灼熱の溶岩を噴出する噴火口のように見えました。
フルートソロの小さな音から始まり
オーケストラの総奏へと音量を増していくのに合わせて
激しくなっていく5人の踊りは、
今まで眠っていた休火山が活動を再開し、
地球内部に蓄えていたエネルギーを放出するかのよう・・・・
・・・といった「解釈」は、本当は全く不要です。
ただただ舞台上の美しい姿を観ていればいいだけです。
『ボレロ』といえばモーリス・ベジャール振付の踊りを
真っ先に思い浮かべると思います。
元々は女性ダンサーのために振付したようですが、
やはりジョルジュ・ドンの印象が強いですね。
バレエの振付にも「著作権」みたいなものがあるようで、
振付家が許可した人しか踊ることができないみたいです。
確か東京バレエ団のプリンシパルがその一人で
一度生で観たことがあります。
それだけに『ボレロ』に新しい振付をすること、
そしてそれを踊ることは、
かなりの「挑戦」ではないでしょうか?
誰でも「比べて」しまいますので。
かといって、全く別のアプローチ(群舞とか)をしても
(言い方は悪いですが)
「逃げ」のような気もしますし・・・。
初めてH・アール・カオスの『ボレロ』を観た時は、
「真っ向勝負」という感じと、
どこかベジャール(とジョルジュ・ドン)への「オマージュ」
というような印象を受けました。
それは、ある種の不思議な「共通点」のようなものを
感じたからかもしれません。
伝説的なダンサー・ニジンスキーと興行主ディアギレフ
ジョルジュ・ドンと振付家モーリス・ベジャール
どちらも「特別」な関係性、親密さを暗示させます。
(実際どうだったかということとは一切関係なく、です)
特にコンテンポラリー・ダンスの場合、衣装がシンプルなため、
男性でも女性でも、極限まで無駄が排除された身体は、
「性」を超越した「中性」的な雰囲気と「両性具有」的な妖しさを
醸し出します。
H・アール・カオスのメンバーは全て女性です。
振付家とダンサーの関係が、
過去の天才ダンサー達の姿に重なるような気がしました。
(実際どうこう、という意味ではないので誤解のないよう)
どちらも、稀代の天才ダンサーが稀代の名曲の中で
「最も美しく妖しく輝く姿を追求した結果」だからでしょうか・・・。
余談ですが、
生オーケストラの演奏でダンスを観るのはとても贅沢なのですが、
ラヴェルの『ボレロ』に関しては楽器のソロが難しい箇所など
クラシックファンとしては「音を外さないか」心配になり、
特に前半は100%舞台に集中できないんですよね。
本当に「贅沢」な悩みなのですが・・・。
ラヴェルの『ボレロ』を観るのは2度目です。
赤い岩のようなセットが半円形状に置かれ、
それに沿うように4人のダンサーがいます。
そして舞台中央の、赤い花(花びら?)でできたサークルの中で
メインの白河直子さんが踊ります。
途中、踊りながら赤い紙吹雪を撒き散らし、
舞台全体が赤で染まっていきます。
それはまるで灼熱の溶岩を噴出する噴火口のように見えました。
フルートソロの小さな音から始まり
オーケストラの総奏へと音量を増していくのに合わせて
激しくなっていく5人の踊りは、
今まで眠っていた休火山が活動を再開し、
地球内部に蓄えていたエネルギーを放出するかのよう・・・・
・・・といった「解釈」は、本当は全く不要です。
ただただ舞台上の美しい姿を観ていればいいだけです。
『ボレロ』といえばモーリス・ベジャール振付の踊りを
真っ先に思い浮かべると思います。
元々は女性ダンサーのために振付したようですが、
やはりジョルジュ・ドンの印象が強いですね。
バレエの振付にも「著作権」みたいなものがあるようで、
振付家が許可した人しか踊ることができないみたいです。
確か東京バレエ団のプリンシパルがその一人で
一度生で観たことがあります。
それだけに『ボレロ』に新しい振付をすること、
そしてそれを踊ることは、
かなりの「挑戦」ではないでしょうか?
誰でも「比べて」しまいますので。
かといって、全く別のアプローチ(群舞とか)をしても
(言い方は悪いですが)
「逃げ」のような気もしますし・・・。
初めてH・アール・カオスの『ボレロ』を観た時は、
「真っ向勝負」という感じと、
どこかベジャール(とジョルジュ・ドン)への「オマージュ」
というような印象を受けました。
それは、ある種の不思議な「共通点」のようなものを
感じたからかもしれません。
伝説的なダンサー・ニジンスキーと興行主ディアギレフ
ジョルジュ・ドンと振付家モーリス・ベジャール
どちらも「特別」な関係性、親密さを暗示させます。
(実際どうだったかということとは一切関係なく、です)
特にコンテンポラリー・ダンスの場合、衣装がシンプルなため、
男性でも女性でも、極限まで無駄が排除された身体は、
「性」を超越した「中性」的な雰囲気と「両性具有」的な妖しさを
醸し出します。
H・アール・カオスのメンバーは全て女性です。
振付家とダンサーの関係が、
過去の天才ダンサー達の姿に重なるような気がしました。
(実際どうこう、という意味ではないので誤解のないよう)
どちらも、稀代の天才ダンサーが稀代の名曲の中で
「最も美しく妖しく輝く姿を追求した結果」だからでしょうか・・・。
余談ですが、
生オーケストラの演奏でダンスを観るのはとても贅沢なのですが、
ラヴェルの『ボレロ』に関しては楽器のソロが難しい箇所など
クラシックファンとしては「音を外さないか」心配になり、
特に前半は100%舞台に集中できないんですよね。
本当に「贅沢」な悩みなのですが・・・。