老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

71年目の晩夏

2023-08-17 22:25:48 | 沁みる砂時計
1989 71年目の晩夏



1ヵ月ぶりのブログ
中断を繰り返し、息が続かない『老い楽の詩』

どこまでも続くか自信がありませんが、またよろしくお願いいたします。

1か月後にブログを開いたら
右端の上に広告が居座り、ブログの雰囲気がすっかり変わり
広告が気になってしまう
そんなことを気にせず 書きたいことを書くしかない、と
気を取り直すしかない



さて、今日は自分にとり71年目の夏を迎えた。
 
自分も蝉のように「いま、ここに生きている」と鳴いている蝉。
夢を追い求めた少年時代の夏はもう昔のこと。



今日から366日後の8月17日
どんな青い空と白い雲に巡る遇うことができるか

脚だけでなく腕の筋力も落ち
老けた躰に負けず 「今日」という一日は二度と繰り返すのことのできない時間だけに
「いまに生きている」認知症老人の後ろ姿を見ながら
自分も明日に向かって生きねばならない

これから72の晩夏まで 自分は何を為すのか
躰を 手足を 頭を 動かし 生きる

15年前の8月27日に腎臓移植の大手術をした
拒絶反応もなくこうして生きていられることに
「感謝」の二文字を忘れてはならない

生かされた「いのち」
ただ老いの齢を重ね、ただ息をしていることに終わっている自分
15年前の晩夏を思いだし、そのときの気持ちに返り
今日を大切にしていきたい



早朝 夕暮れどきの吹く風に
秋の気配を感じる

時間は知らぬ間に自分を追い越していく
ぼやぼやしていると死神に追い着かれてしまう
時間を忘れるほど、何かに熱中していくことだ。








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