老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1468; 「臨死のまなざし」から教えられたこと(3)

2020-03-25 05:09:33 | 生老病死
「臨死のまなざし」から教えられたこと(3)



死に寄り添う(上)

最近書店で、中勘助の『銀の匙』が積本にされ
静かなブームをよんでいる。

中勘助が生まれたのは明治18(1885)年
彼は生まれつき虚弱で、病身者であった。
腎臓病、神経症、脚気、胆石症などを患っていた。

病身者でありながら彼は80年の生涯において、
親しい人たちの死に寄り添ってきた(介護、看取りをしてきた)。

最初に死に寄り添ったのは、5つ違いの妹だった。
妹は22歳、勘助は27歳のとき

{幼い子を残して死んでいった妹の最期を、『妹の死』のなかで勘助は書き留めている。
 妹はは目をとじたままでそのせつない、頼りない・・・・・
「いくら息をしようと思ってもできなくなってしまう。・・・・・」
 そういううちに幾度も息がとまりかける、・・・・。
「誰か息をこしらえてちょうだい」といった。}『臨死のまなざし』57頁~58頁

息することも本当に苦しく「誰か息をこしらえてちょうだい」の言葉がせつなく胸に詰まる。

妹の最後の息は「それでもなにかいうらしく唇をうごかして
自分の顔のまえにかきさぐるような手つきをした。が、間もなく
息をひきとった。最後の息というものはいくたび見ても最後らし
く、そしてよそ目にはせつなそうなものである。」『臨死のまなざし』58頁

妹は病院のベッドで、肺結核で亡くなった。
大正元年の頃の病院は、こんにちのような医療機器はなく延命処置が施されるような
ことはなかった。

本当に勘助の妹のように最後家族の人たちに見送られ、「息をひきとる」さまは、
こんにちの病室で見られることは稀である。

自分も含め、大切な家族とどのような死に方(息をひきとるさま)をしてゆくのか
勘助の妹の死を通し、あらためて考えさせられた。


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2 コメント

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こんにちは~ (星光輝)
2020-03-25 17:41:23
MIDORI SAMA

コメントありがとうございます。
自分は「銀の匙」は49年前に手にしました。
岩波文庫で当時の価格は100円でした。
文庫本の紙の淵は日焼けでくすんでいます。
いつか再読したい、と思っています。

「君たちはどういきるか」は37年前に読みました。感動、勇気づけられた本でした。当時の読後の気持ちを維持し続けたら、人生は変わっていただろう、と思いますが、怠惰脆弱な性格のため、
いまも苦労しています。

「君たちはどう生きるか」は中高生とその親や先生に読んでもらいたい本ですね。
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Unknown (MIDORI)
2020-03-25 14:13:29
「銀の匙」完読していませんでした。
読んでみようと思います。
「君たちはどう生きるか」など昔の本?が今ブームになったりしていますね。
返信する

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