老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

526;残り少ない時間

2017-11-09 10:00:28 | 読む 聞く 見る
 残り少ない時間

私にとり心の詩集でもある
高見順『死の淵より』講談社 文芸文庫 の94頁に
「過去の空間」がある。

『死の淵より』に邂逅したのは 32歳のときだった


「過去の空間」の最初の連に

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残り少ない大事な時間が


7連に

その楽しさはすでに過去のものだ
しかし時間が人とともに消え去っても
過去が今なお空間として存在している
私という存在のほかに私の人生が存在するように


護施設で働いていたとき
よくスタッフは「時間がない」と口癖のように発していた。
高見順は食道癌になり、52歳の若さで私の誕生日に永眠された。

時間がないのは、介護施設職員ではななく
老人たちであることに気づかずにいる。

老人は死の隣り合わせに生きており
いつ死神が迎えにきても不思議ではない
指のすきまから時間という砂が洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる

私は老人の残り少ない大事な時間を奪わってはいないか、と
高見順の詩に気づかされた。
老人は 今日何事もなく元気であっても
明日の朝 突然急変し亡くなる人もいた。
それだけに、これは明日にしよう、と思ったことが
できなくなり後悔したこともあった。
老人は、今日の介護サービスに満足はしていない表情を察したとき
それは老人の時間を奪ったことだと、と反省してきた。

(サービスの満足とは、介護従事者ではなく本人が満足していたか、を問題にしなければならない)

その人が時間とともに消え去っても
その人の人生が存在していたことを
忘れないで欲しい、と。
ふとその人を想い出したとき
その人の存在は私の心のなかに生き還る



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