老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか・・・・

2020-07-23 05:24:53 | 介護の深淵
1605 マザー・テレサと老人介護❷
~人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか~



マザー・テレサは「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、
自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。
そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ」
、と述べている(前掲書26頁)

息も絶え瀕死の状態にあっても、
路上で行き倒れた老婆を抱きかかえ、話しかけ手を握りながら看取る。
残されたわずかな生命であっても追い求めていく、彼女のその行為に圧倒された。

幸、不幸を数字で示すということはナンセンスではあることを承知のうえで、、
マザーに助けられるまでは老婆は99%不幸であった、と思う。
しかし、死の寸前、マザーに抱きかかえられながらその人の死を看取られたとしたら、
残り(最後)の1%は幸福だったのではないか。

人間の温もりを感じながら安らかに死せる、ということはとても大切なことだと思う。
「この世に不要な人間なのだと思いこむ」自分、
また思いこませる周囲の人間のあり方など、
人間に対するマザーの優しさかつ鋭い視点は、
老人看護、老人介護の世界においても相通ずるものがある。


人生の最終章にはいり、家族に囲まれながら老境をむかえ、
病気や事故に遭い半身不随または寝たきり状態になったとき、
多くの老人は心が大きく揺れ動き、一度は「家族に迷惑をかける」「自分さえいなければ・・・・」
「邪魔な存在」「役立たずな人間、却ってお荷物な存在」等々
”不要な人間なのだ”と思いこむ時期がある。

その思い込みを解決せぬまま重荷を背負いながら、介護施設の門をくぐる老人に対して
看護師、介護員、介護支援専門員は、何を為すべきなのか・・・・。

マザー・テレサは、その問いに対してこう示唆してくれるであろう。
「『貧しい人たちはね、オキ(沖守弘)、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、
なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。
実際は何もいわないし、声も出ないけれどもね』。
だが、手をにぎりあい、肌をふれあうことによって、彼らの聲は聞こえるのだ。
そのことばを聞く耳を持ちなさい、・・・・・(中略)・・・・・『健康な人や軽税力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。
でもね、飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手に、みつめあう視線に、ほんとうにいいたいことをこめるのよ。
ほんとうにわかるのよ、オキ、死の直前にある人でも、かすかにふるえる手が”ありがとう”っていっているのが。
・・・・・貧しい人ってほんとうにすばらしいわ』」
(前掲書29~30頁)



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