老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「老人」と「高齢者」

2024-01-07 14:10:39 | 阿呆者
1998 老人について


         散歩の途中、立ち止まり 何人の無病息災無事故を祈る

いつの頃だか調べればわかることだが、いまそれはさして重要なことではないので触れない。
それは、町村役場市役所の窓口は「老人福祉課」から「高齢者福祉課」に変わり、
行政から出される文書でも「老人」という言葉は消え去っていた。

介護サービスにおいても、要介護老人とは言わず要介護高齢者と記されている。
齢を重ね重ね65歳の門をくぐると、法的には高齢者となり介護保険法では第1号被保険者となる。
「高齢者」と呼んだり書いたりすることに、抵抗感はそんなに無い訳ではないが、
自分のなかでは、シックリこない。

「高齢者」の文字からは、齢を重ねてきた人であることは「わかる」。
それに対し「老」「人」の文字は象形文字であるため、老人に対してイメージが浮かびやすい。
「老」は、腰が曲がり杖をついて歩く。
「人」は、今までは“人と人が支えてあう“として捉えられていた。最近は”横向きに立っている人“の象形文字である。
親しい人同士がくっ付いている姿が人が、「人」という感じに込められている、と解釈されてきている。

”人と人が支えあう“関係は、それはそれでお互い様でありよいことなのだが、
持たれかかる時間が続く(長く)なると負担になってしまう。
”親しいもの同士がくっ付いている“関係は、微笑ましく映る。

老いたとき、独りで居たい人はひとりでもいい。
付かず離れずの関係で気軽にお茶話や出かけるのもいい。

手足や躰が思うようにならなくなり、他人(又は家族)の手を必要になってくる。
そうなったときは、人と人が支えあうことになり、
介護や福祉、医療等のサービス(社会資源)を上手に使いながら、老いを生きていく。

そんなことを思いながらビーグル元気と阿武隈川の辺りを歩いている。
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