老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

親父(ちち)の命日

2020-07-10 19:55:41 | 阿呆者


1592 親父(ちち)の命日

今日 7月10日は
親父(ちち)の命日
50年前に大腸癌で亡くなった。

50年前の医療技術では
命を救えず余命を宣告された。
親父は風邪ひとつ引かない健康そのものであった。
それが、最初の病気が大腸癌と診断された。

親父が生きていたら
自分の人生は変わっていただろう、と思う。

寂しいのは親父と酒を酌み交わすことができなかった。

親父が亡くなる7月10日の朝は晴れていた。
息を引き取る寸前 親父は物凄い力で手を握りかえした。
その感触を想い出すことがある。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« こぼれ落ちる砂 | トップ | コロナ感染をわかりやすく考... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
宝物ですね (yasuragi)
2020-07-11 17:07:14
お父上様、亡くなられる寸前に、よくそんなにも力が出ましたね。 渾身の思いと、ありったけの力を
ふり絞って、息子にバトンタッチされたのでしょう。
その記憶が宝物ですね。 
返信する
Unknown (星光輝)
2020-07-14 21:06:37
yasuragi sama

親父からバトンタッチをされたが
どれだけ自分は本当に生きてきたのか、と
反省と後悔でいっぱいです
老いに入り
残された時間は少なくなってきたけれど
last chance に懸け「頑張ろう」と
思いながらも、日々反省を繰り返しています
返信する

コメントを投稿

阿呆者」カテゴリの最新記事