いつもと違う処から撮った阿武隈川の風景
1966 『95歳の老人の詩』
どこのだれで、どこに住んでいたのかも わからない「出典不明」の『95歳の老人の詩』
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、
もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど 殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、
行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、
お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、
頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、
春はもっと早くから裸足になり、
秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、
もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、
もっとたくさんの夕日を見て、
もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、
起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、
構えたり、
落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、
もっとシンプルに生きよう、
たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、
人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
老いの齢を重ね 人生の終わりが見え始めてきたとき
ふと、「もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 」、と思い、後悔の念を抱くこともある。
いまさら過去を振り返っても、時間は戻らない。
95歳の老人は、いま老いを生き迷える自分に
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある
その言葉は自分を勇気づけてくれた。
初心の情熱に帰り
他人の目を気にせず
いま、やりたい、と思ったことをやる。
時間は残り少ないけれど
まだまだ時間はある。
人材を育て、後継者にバトンタッチできる同志を見つける
それが最後の仕事になる
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