桑の実
採取して自家用ジャムを作る
エンドウ生育順調
ホタルb
大根畑の中耕 芽生え良好 防鹿ロープも張った。
薄の穂の向こうに日が落ちる
夕暮れコスモスがフラッシュに浮き出る。
季節のつなぎ目はずっと雨だった、秋晴れはまだ来ない。
燕がいなくなったことに最近気づいた。
羽が破れたアゲハが飛んで来たりして、飼育箱の中の鈴虫が南部鉄器の風鈴のように鳴いている。
センサーカメラ用リチュウム電池の入れ替に手間取り、昨日ようやくカメラをセットした。
獣が現れれば必ず撮影できる自信はあった。
今朝 見回ると自動シャッターは3回押されていた。
1枚目は2匹のアナグマ 2枚目は空振り、3枚目はアナグマの後ろ姿である。
子鹿は現れなかった 山に帰れたのかもしれない。
このペアーはトウモロコシ畑に侵入した家族かもしれない
この後ろ姿はどうも不自然だ、地中の虫を漁っているのだろう。
日の出前に咲いたオクラは薄絹のようだ
足跡
茄子の若葉が食いちぎられて、収穫を間近に控えたかぼちゃが半分ほどかじられていた。
周りに残された足跡から迷い込んだ小鹿にお仕業に間違いない。
昨年付設した人と獣の居住区を分ける防獣フェンスの効果は抜群で、今年は安心して個々の畑に作られた囲いを撤去した矢先の出来事だ。
小鹿はどこから迷い込んだのか諸説はふんぷんとして決め手がない。
証拠固めにセンサーカメラを仕掛けることにした。
それはさておき、人間の居留区に迷い込んだ鹿は山に帰る術がない。
故郷への道は、そびえるフェンスに遮られている。
オクラ
概ね夏野菜の作柄は良というところだろう。
菜園野菜の古株である、茄子やキュウリ等にこの夏お世話になった。
中でも比較的新顔のオクラを重宝した、生で良し、揚げて良し、煮てもうまい。
特有のトロミの中には夏バテ防止の諸ミネラルがたっぷりふくまれているという。
丈夫で栽培が楽で、その上花も美しい。
サットゆがいてフードプロセッサーに短時間かけるだけでオクラトロロが即座にできる。
味付けは好みで自由自在、冷蔵庫で冷やして、冷たいご飯に載せる。
チューブ入りのわさびを添えたら、もう云うことはない。
最近 現代口語短歌誌未来山脈に発表された「なかむらさだこさん」の作品である。
「周りに補聴器は良いという人は無く 踏み出せないでこのままいく」
「耳の聞こえのわるさがたのしみを奪う 一人で出かけた落語会」
補聴器は難聴者に音を拡大して聞かせる電子機器である。
小声は聞き取りにくいという人に、大声で話すと意思が通じることと同じ理屈である。
それでは 音さえ大きくすれば難聴が即座に改善されるかというと、そんな単純なことでもないらしい。
音は複雑な過程を経て電気信号に変換され脳に伝えられ、音とした感知される。
しかし聞こえの悪い人は長期間音と途絶した世界にいたために、耳の機能が退化しているのではないかと思う。
山中で静かに隠遁生活を送っていた人が、ある時急に都会の雑踏に放り出されたようなものだろう。
だから補聴器を初めて使う人はそれなりの訓練が必要になる。
しかし 哀しいかな訓練を惜しむ人が多いらしい、それには販売する側にも大いに問題がある。
売ることに専念するあまり、フォローが二の次になることである。
補聴器を購入しても良く聴こえないことが多いようで、販売店へ相談に行くと、もっと良いものがあるといわれまた購入する。
多くの人が「補聴器は駄目なもの」と諦めタンスの中に格納してしまう。
補聴器は役に立たない物という風評が世間に定着してしまったようだ。
そのことはとても悲しいことである。