昨日は中央線の秋を楽しんだ。
富士山嶺の雪、風になびく沿線の枯れすすき、標高による紅葉の移ろい等々
車内のお客は少なく、贅沢な景色を一人占めしてきた。
我家でも 紅葉黄葉のころ合いが良く、荒れた庭をひととき輝かせている。
今朝は又 薄曇りの空から降りそそぐ光の透け具合が絶妙で、この時ばかりは古刹の名園にも決して劣らないと思ってしまう。
昨日は中央線の秋を楽しんだ。
富士山嶺の雪、風になびく沿線の枯れすすき、標高による紅葉の移ろい等々
車内のお客は少なく、贅沢な景色を一人占めしてきた。
我家でも 紅葉黄葉のころ合いが良く、荒れた庭をひととき輝かせている。
今朝は又 薄曇りの空から降りそそぐ光の透け具合が絶妙で、この時ばかりは古刹の名園にも決して劣らないと思ってしまう。
今日は電車に乗って、貴重な雪割草を頂きに茂木さんのお宅に伺った。
茂木コレクションの1部
希少種6種を頂いて帰った
韮崎駅の少し手前で薄いくれないに染まる夕富士を見た
雪割草は雪の多い日本海岸でよく育つという、寒い信州での越冬が心配になるが、育てる基礎知識をきちんと教わってきた。
サギソウも セントポーリアも、桜草も何とか信州に根をおろしている。
雪割草もうまく行きそうな気がする。
、
林立する蕎麦架(にご)
ざっと見て100キロの収穫が見込めるだろう
蕎麦刈りして1日を経過した昨日から、筋肉痛と思われる痛みが足腰に現れて、動作が甚だぎこちない。
蕎麦刈りは、腰を曲げて、左手で蕎麦をつかみ右手で鋸状の鎌を引きザックザックと刈り取る。
何十年振りの感触に浸りながら、1時間ほど刈り続けた。
最初は刈り取ったまま放置し、乾燥させる予定だったが、蕎麦の生育が良く草丈もあったので、小さく束ねて架を作り、乾燥させることになった。
ところが 結束用稲藁を使って、刈り取った蕎麦を一握り程の小束に束ねる作業は案外難しいところがある。
昔の農作業を経験した者でないと手際よく結束する事が出来ない。
昔取った杵柄から、刈り取りは若い人に任せて、結束作業に転向した。
腰にぶら下げた結束用稲藁束から3本ほど引き抜き、ひと束分の蕎麦を取り分けて、根元を揃えて、太ももの上で藁を二重にまわしてきゅっと締める。
最後は藁の両端を合わせて数回捩って、よじった部分を捩った根元に突っ込んで終わる。
完成まで、ほんの数秒である。素人はこうはいかない。
早い早いと煽てられて汗を流して頑張った、筋肉痛はその勲章である。
束ねた蕎麦は集めて蕎麦架を立てた。これで極上の蕎麦粉が保障される。
玄関の曇りガラスに景色が写っている
昨日 蕎麦同好会の蕎麦刈を行った。
今年の蕎麦は天候に恵まれて作柄は上出来である。
一週間程天日に当て乾燥させ、11月2日が脱穀予定だ。
近所から茸のおすそわけがあった、イグチ類の茸がまだ出続けることに違和感を覚えたが好きな茸である。
夜は別件で相談ことのため、近所の人が家に集まった
話し合は短時間で終わり、この茸を肴に懇親会となる。
秋の夜長、このような集まりも久しぶりだ。
飲むほどに話が盛り上がり夜の更ける迄、杯を交わした。
十三夜であったが、夕刻から空に雲が広がって、月見は叶わなかった。
武石巣栗渓谷の紅葉
流れに沿って道は続く
山頂に続く道
1,972メートル55センチの山頂
山頂からの展望
上田市小諸市が霞んで、背後に菅平 浅間山が見える。
鹿教湯温泉で同級会があった、一泊した帰り、少し遠回りになるが冬枯れの美ヶ原高原を越えた。
途中で車を降り、30分ほどかけて、武石嶺に登った。
膝の爆弾が破裂しないよう一歩一歩慎重に登り、下った。
今度から車の中にキャラバンシューズと杖を常備しよう。
ヌスビトハギ
近道のために、 晩秋の草むらを掻き分けるように歩いて向こう岸に辿りつく。
衣服には所構わず何種類もの草の実がびっしりと張り付いている。
当地の方言?で、この無賃乗車の輩を総じて「バカ」と呼んでいる。
その語源はいくら考えても見当がつかない。
その中の一つが盗人萩である、小花が美しく、衣服に付着しても払えば簡単に落ちるから憎めない。
しかし、中には払えば払うほど衣服の中に入り込む厄介者もある。
バカ草に取りつかれるのが嫌で、秋の野歩きを敬遠する人もいる。
学校帰りに、花が終わったアメリカセンダンソウの花茎を千切って、そっと後ろから投げつけると面白い様に衣服にくっついた。
知らずに背中にいっぱいくっ付けたまま家に帰って、始めて気付くこともあった。
常念と槍ヶ岳
昨日の冠雪は小春日の日に照らされてあらかた消えたようだ。
3千米を越える高さの槍ヶ岳や大喰(オオバミ)岳はその貫禄を誇示する。
今朝は吐く息の白さに驚かされた。
ホトトギスがようやく咲いた。
昨日、平地に降った冷たい雨が山頂では雪に変わったようだ。
一夜けた山脈の変貌にどきりとした。
冠雪と、はっきり見えないが黄葉の帯が山腹を染めている。
前に連なる丘陵と山裾の間に白くたなびくのは、晩秋の風物詩犀川の川霧である。
初冬に向かって気温の低下とともに川霧は勢いを増し、市街地を湖のように覆う尽くす。
ついに来るべきものが来たと思わず身構えてしまう。
花梨と書きたいけれど、実はマルメロ
会合の帰り道Mさんの果樹園の隅に、花梨がたわわに色づいて、芳香が漂っている。
「良かったらどうぞ」といわれ、一番大ぶりで頭に葉っぱの飾りを付けた物をむしってきた。
『Mさんは「カリン」といっているけれど、正しくは「マルメロ」なんだよ』 と教えてくれた人がいた。
諏訪湖畔の花梨並木は広く知られている、春の花、金色に色付く果実、そして美しい紅葉、果実はシロップ漬けで売りだされている。
その「カリンシロップ漬」にどこやらの省庁がクレームを付けた。
その理由は並木の果実は「カリンではなくマルメロである、よってマルメロシロップ漬」とするようにとのこと
両者の見分け方は、果実全体に肌色の産毛が密生しといるのがマルメロである。
ただし熟してくると自然に産毛は消失することもあるがヘタの部分を見れば解る。
堅くて加工が大変なので、食べるより玄関に置いたり、車内に置いて芳香を楽しんでいる。
透き通るような秋
埼玉に住む10歳違いの末弟が、高校の同級会を機に久しぶりに顔を見せ、泊っていった。
酔ってなのか、素面でなのか恩師に向かって「人生とは何でしょう」というようなことを聞いたらしい。
恩師は即座に「好きなように日々を送ること」と答えられた。
弟は翌朝 駅への送迎を固辞して、どうしても松本駅まで歩きたいという。
秋晴れの下、北アルプスを眺めながら、僅かに始まった紅葉の桜並木を歩きたいという。
この時期は朝のウオーキングに最適な季節である、数十年の彼方に霞んでしまった少年の志を、通学路を通して蘇らせたことだろう。
本当に秋はそういう季節である。