ある朝の新聞に、かきつばた、あやめ、花菖蒲の簡単な見分け方の解説載っていた。
さっと目を通して、よっしゃ解ったと思った。
北海道から海を越えてきた杜若が咲いて、あやめも咲き、ジャーマンアイリスは大輪を開いた。
花菖蒲の花茎も伸びてきた。
早速 花弁の付け根の模様を検証した、模様は確かに違う 、しかし模様から特定する方法は頭の中に残っていなかった。
ある朝の新聞に、かきつばた、あやめ、花菖蒲の簡単な見分け方の解説載っていた。
さっと目を通して、よっしゃ解ったと思った。
北海道から海を越えてきた杜若が咲いて、あやめも咲き、ジャーマンアイリスは大輪を開いた。
花菖蒲の花茎も伸びてきた。
早速 花弁の付け根の模様を検証した、模様は確かに違う 、しかし模様から特定する方法は頭の中に残っていなかった。
ポピー
ずっと以前タイ北部に住む少数民族の集落に旅行したことがある。
曲がりくねった悪路を四輪駆動車に揺られて付いた所にケシを栽培する畑があって花が咲いていた。
この芥子坊主に傷をつけると滲み出る汁を集めて精製すると阿片やモルヒネに変わる。
畑の畔に、美しい民族衣装を着た少女達が遊んでいたので、気楽に何枚も写真に写した。
原色の花の中に民族衣装が溶け込むような景色であった。
帰ろうとすると、傾いた家の中から男が近づいてきて、片言の日本語で「モデル料」を払えと云う。
ガイドの説明によると、この辺りでの麻薬ケシの栽培は既に禁止され、違反者は重い罰則を科せられる。
今は 観光用にポピーを植えて芥子畑を再現し、民族衣装を着た少女達のモデル料が重要な収入となっている。
ガイドは、本物のケシ栽培が見たければ、もう一泊して山奥に行きましょうと笑った。
河川敷を占拠して大木に、 周囲に甘い香りが満ち満ちる
花房を天麩羅にすることが流行った事があるが、今は聞かない。
アカシアの雨の風情も、北国の旅情も遠のいてしまったが、私の6月の白い花である。
アカシアは河川敷を占拠して衰えることを知らない。
数年に一度、所轄の役所が伐採してくれるけれど、その再生力は驚くばかりである。
妖艶な甘い香りに誘われた蜜蜂が集まる、養蜂業者にとって重要な蜜源になっていて、アカシア蜜は人気ブランドである。
しかし飛び散る花粉が人に深刻な悪さをする事もあって敵役になってしまった。
、
里山のあちこちに白い花蔭が拡大している。
オオアマナ
早朝 獣害防護柵の外側を柵に沿って走る鹿を見た。
過日 柵内に取り残されていた鹿の駆除が大規模に行われて、多数が撃ち殺され、一部は山に追い返された。
その成果によるものだろう、掃討作戦終了後は柵内の耕作地に鹿の足跡を見ることはなくなった。
一時の安らぎなのか、平穏が恒久的に続くのか、人間達の議論は別れる。
白い花が咲き、鹿牧場で知られる長野県大鹿村にはヒマラヤ原産の青い芥子が咲き始めたという。
2万粒の種子を蒔いて、成長するのは1500本位だと育苗家が語っていた。
昨年 正木さんからカナダ土産に貴重な青い芥子の種子をいただき、秋にプランターに蒔きつけた。
小さな発芽が認められるけれど、青い芥子なのか、雑草なのか、宇宙のどこかから漂着したものか判らない。
坊さん々どこえゆく!!
フーフーフー
詳しい囃し言葉を思い出せないが、野路を歩きながら、風を待つばかりに膨らんだ純白のたんぽぽを折取って、「坊さん坊さんどこえゆく」と唱えて、口をすぼめて強い息を吹き付ける。
種子を付た綿毛は喜び勇んで飛び散って、後には青々とした見事な坊主頭が現れる。
昨日 東京たんぽぽYサービスクラブの10周年を祝う会に出席し、祝辞を聞きながら子供の頃のたわいない遊びを突然思い出した。
3時開会の松本交通安全協会総会は予定より早く終わったので直帰し、常念の見える部屋で落日を待った。
10日ほど雲がかかったり、タイミングが合わなかったりしてる間に、落日位置は常念を越えて横通し岳との鞍部に移っていた。
赤い太陽は常念の右稜線に沿って転がるように移動しルツボのような鞍部に沈んだ。
母校で後輩たちと銅鏡を作った事がある、ルツボから真っ赤に溶解した銅を鋳型に流し込んだ情景を思った。
それは尾張地方に限定されることのか知らないが、サルトリイバラ の葉に包んだ和菓子がある。
この植物の別名「山帰来(サンキライ)餅」と呼ばれるらしい、柏餅などと同じ季節限定の和菓子である。
青いい蔓にびっしりと生えた棘が、秋になると思いがけない場所で硬化していて、触れると神経が逆なでされる思いがする。
蔓は強靭で、絡まったが最後猿も逃げられない。
豊かに茂った葉っぱを見て、いつか土産にいただいた山帰来餅を思いだした。
信州で尾張の味を再現するのも悪くない。
植えつけたコゴミ(クサソテツ)
元桑園の強靭な雑草の根を掘り起こし、耕して、庭先に繁茂していたコゴミを移植した。
荒野に畝間を3本作るのは、たやすいことではなかったが、やればできる。
今までやりたいと思う事と、それを行動に移す決断が大きく乖離したまま時が過ぎてきた。
できないことを思うのでなく、できることを決断する年齢になったのだろう。
1畝に15本 合計45本を植えつけて、水をたっぷり与えた。
ものの書によれば、腐葉土が堆積する湿地帯を好むとあるが、シダ類は与えられた環境に素早く順応する特性があるらしい。
条件さえ合えば、3年で荒地5アール一面にコゴミが群生する筈である。
金環食を見た証しに
ハレーションやゴーストが出て撮影は失敗したけれど、太陽の輪ッカは確かに写っている。
青い桑の実
蝶によって幼虫が食べる草木は決まっている、キャベツ葉を食べる青虫は長じてモンシロチョウになる。
間違っても南瓜の葉は食べない。
大切にしていた文旦の葉を食べつくしたのカラスアゲハの幼虫である。
同じようにか蚕は、桑の葉以外見向きもしない。
古き頃 長野県は養蚕業が盛んであった。
県歌 信濃の国でも「しかのみならず桑採りて 蚕養いの業のうち開け 、細き世すがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり 」と歌われている。
物心付いた頃、山の奥地まで続いていた桑園は、養蚕業の衰退と共に自然と山林に還り、麓の桑園は果樹栽培に変わった。
我が家も例外ではない、最後まで蚕養いをつづけていた農家に貸していた桑畑が、高齢を理由に返却された時は本当に困惑した。
結局 重機を頼んで桑を引き抜き、更地にして雑草の茂るままに今日まで放置してきた。
当主の懐古趣味から残された1本の桑の木が成長し、毎年桑の実が実る。
ほとんど ひよどりが食べてしまうのだが、黒紫色に熟れた桑の実は、2.3粒で桑の実でしか味わえない郷愁が体中に染み渡る。
日食の日の紅紫檀
天気予報が外れて初夏の太陽が元気よく昇った。
早速日食の観察と撮影を試みた。
観察資材の用意を怠っていたので、手近にある減光材料を試したがどれも実用にならなかった。
仕方ないのでピンホールで我慢すべく厚紙に錐を刺してホールをつくった。
そこで頭に浮かんだのが園芸用の黒色マルチシートである。
物置から取り出して試してみる、一重では一寸明るいので二重にした、暗黒の中に紅い太陽の真円がくっきりと見える、万歳である。
早速それを眼鏡に張りつけた。
カメラは6%と12%の減光フィルターを重ねてレンズの前にセットした。
しかし カメラファインダーには、入り込んだ迷光が複雑に反射したゴースト像が現れて、写真撮影はなんとも無残な結果に終わった。
マルチ式観察鏡の効果は抜群であった、金環食の前後数分間 太陽光が届けてくれる熱量が一気に低下して肌寒くなった。
それは冬至のように、か弱い太陽であった。
それでも月蔭からはみ出して太陽光は強烈で、熱量は低下したものの輝きは太陽そのものである。
アーク溶接の比ではない、直視したら失明するだろう。
もっと 黄昏近い暗さを想像していたのだけれど、それも見事に外れた。
日食現象は、太陽を、月という小さな丸い雲が、ひと時、覆い隠す出来事なのだろう
確かに金の指輪が観察できた、次回の金環食は百数十年後だと云う。
今朝の日食をみた人で、次回の金環食をみられる人は多分いないだろう。
そのことを深刻に考える人はいないだろうし、私も考えない。
昼食時 天体ショウの話題で盛り上がった、吃驚したのは黒色マルチが私の専売特許では無かったことである。