義兄が悪徳業者に狙われて高額な寝具の契約をしてしまったと姉から連絡があった。
親しい友人に誘われての一泊旅行がその舞台で、若い女性の勧誘員の甘言に手も無く乗せられたらしい。
始末が悪いことに義兄は騙されたことにまだ気付かないことである。
姉が心配して、多少なりと医療器械に関係あるのではないかと、寝具の効力の信憑性を私に問い合わせてきたのである。
「そんの物効く訳がない」とは言いつつも、本当にその効果を信じて使ったら、もしかしたら多少は有効かとも思った。
「松本市消費生活センター」への相談を勧めた
悪徳業者があの手この手で高齢者に近づいき、法外な値段で売りつける消費者トラブルは一向に減らないという。
「今のお年寄りは皆さんお金持ちなんですよ」という言葉を聞いたこともある。
沙羅
花菖蒲
山法師
紫陽花
親しい友人に誘われての一泊旅行がその舞台で、若い女性の勧誘員の甘言に手も無く乗せられたらしい。
始末が悪いことに義兄は騙されたことにまだ気付かないことである。
姉が心配して、多少なりと医療器械に関係あるのではないかと、寝具の効力の信憑性を私に問い合わせてきたのである。
「そんの物効く訳がない」とは言いつつも、本当にその効果を信じて使ったら、もしかしたら多少は有効かとも思った。
「松本市消費生活センター」への相談を勧めた
悪徳業者があの手この手で高齢者に近づいき、法外な値段で売りつける消費者トラブルは一向に減らないという。
「今のお年寄りは皆さんお金持ちなんですよ」という言葉を聞いたこともある。
沙羅
花菖蒲
山法師
紫陽花
小さな夕焼け 北の大地のような夕焼けはめった見られない
ツエッペリン飛行船
過日 名古屋の空をゆっくりと移動する飛行船を見た。
大きな浮遊体の下に、コバンザメの子供のようにくっついた小さな箱が客室だという。
私は飛行船というとツエッペリンを連想する年代である。
液体を極く微量、正確に測り取って、別の容器に移す作業を分注といったように思う。
ピペットはそのために使う目盛付きの細いガラス管である。
ガラス管の先端に付けたゴムチューブを口で吸って液体を吸い上げる。
0.1ccとか0.05ccを手早く吸い分けることは、かなりの習熟を要したことだろう。
今では自動ピペットという便利な器具がある。
器具の先端を、計り取る液体に付けて、筒の上部のボタンを押して、離すと必要量を正確に取り込むことができる。
次に別の容器に向けて再度ボタンを押し、吸い取った量を排出する。
誤って劇毒物を口に吸い込むこともないし、誰でも精度よく分注できるから広く使われるようになった。
これらの器具は当社の取扱に入っていないけれど、有名なものにエッペンドルフピペットがあって、その商品名は業界紙の広告欄で良く見かける。
今朝もこの商品名が目に入って、名古屋の空のマンボウを思い出した。
ツエッペリン:エッペンドルフあまり似てないか!!
ツエッペリン飛行船
過日 名古屋の空をゆっくりと移動する飛行船を見た。
大きな浮遊体の下に、コバンザメの子供のようにくっついた小さな箱が客室だという。
私は飛行船というとツエッペリンを連想する年代である。
液体を極く微量、正確に測り取って、別の容器に移す作業を分注といったように思う。
ピペットはそのために使う目盛付きの細いガラス管である。
ガラス管の先端に付けたゴムチューブを口で吸って液体を吸い上げる。
0.1ccとか0.05ccを手早く吸い分けることは、かなりの習熟を要したことだろう。
今では自動ピペットという便利な器具がある。
器具の先端を、計り取る液体に付けて、筒の上部のボタンを押して、離すと必要量を正確に取り込むことができる。
次に別の容器に向けて再度ボタンを押し、吸い取った量を排出する。
誤って劇毒物を口に吸い込むこともないし、誰でも精度よく分注できるから広く使われるようになった。
これらの器具は当社の取扱に入っていないけれど、有名なものにエッペンドルフピペットがあって、その商品名は業界紙の広告欄で良く見かける。
今朝もこの商品名が目に入って、名古屋の空のマンボウを思い出した。
ツエッペリン:エッペンドルフあまり似てないか!!
木崎湖 稲尾駅付近
日曜日大糸線に沿って塩の道を神城まで走った。
残雪の五竜、白馬を期待していたけれど峰々は厚い梅雨の雲に終日覆われていた。
この大糸線は敷設工事が戦争で中断し、定かな記憶ではないが長野県北小谷駅と、新潟県平岩の間が繋がったのは戦後しばらく経ってからであった。
県の最北端のローカル線について何故覚えているかというと、それにはちょっとした訳がある。
小学校に修学旅行が復活(新設)された時、山国の子供たちに海を見せようという
気運が高まり、長野県に一番近い海糸魚川に最初の修学旅行が計画され、姉たちが参加した。
大糸線の全線開通以前のことであるから、一行は北小谷駅で下車し、山道を平岩駅に徒歩で向かった。
しかし、険しい道路が行く手を阻み、平岩駅での発車時刻に間に合わない事態になってしまった。
引率教師たちは、児童の荷物を最大限に担ぎ、児童ともども駅を目指して山道を必死に走ったという。
姉からこの修学旅行の話は何度も聞いた、そのほとんどは忘れたけれど、子供たちが集団で山道を走る様子は今でも想像できる。
日曜日大糸線に沿って塩の道を神城まで走った。
残雪の五竜、白馬を期待していたけれど峰々は厚い梅雨の雲に終日覆われていた。
この大糸線は敷設工事が戦争で中断し、定かな記憶ではないが長野県北小谷駅と、新潟県平岩の間が繋がったのは戦後しばらく経ってからであった。
県の最北端のローカル線について何故覚えているかというと、それにはちょっとした訳がある。
小学校に修学旅行が復活(新設)された時、山国の子供たちに海を見せようという
気運が高まり、長野県に一番近い海糸魚川に最初の修学旅行が計画され、姉たちが参加した。
大糸線の全線開通以前のことであるから、一行は北小谷駅で下車し、山道を平岩駅に徒歩で向かった。
しかし、険しい道路が行く手を阻み、平岩駅での発車時刻に間に合わない事態になってしまった。
引率教師たちは、児童の荷物を最大限に担ぎ、児童ともども駅を目指して山道を必死に走ったという。
姉からこの修学旅行の話は何度も聞いた、そのほとんどは忘れたけれど、子供たちが集団で山道を走る様子は今でも想像できる。