町内親睦行事の帰りに、幹事の好意で天然記念物シダレグリ自生地に立ち寄った。
葉に覆われるこの季節、天然盆栽のごとき枝ぶりを見ることはできないが、森の中には何本かの枯れ木が残っていた。
かって 鉄道の枕木に多用された栗材は、腐りにくいことで知られる。
枯れても朽ちることがない木立が、新緑の中で異様な形状で迫り、凝視すれば、隠し絵のように様々な塑像が現れてくる。
それは人間であったり、動物であったり、妖怪であったりした。
帰路立ち寄った道の駅で、可憐な「ねじり花」を一鉢求めた。
町内親睦行事の帰りに、幹事の好意で天然記念物シダレグリ自生地に立ち寄った。
葉に覆われるこの季節、天然盆栽のごとき枝ぶりを見ることはできないが、森の中には何本かの枯れ木が残っていた。
かって 鉄道の枕木に多用された栗材は、腐りにくいことで知られる。
枯れても朽ちることがない木立が、新緑の中で異様な形状で迫り、凝視すれば、隠し絵のように様々な塑像が現れてくる。
それは人間であったり、動物であったり、妖怪であったりした。
帰路立ち寄った道の駅で、可憐な「ねじり花」を一鉢求めた。
4月26日に植え付けたマンゴーが根を伸ばし始めた。
低温に発育が抑えられていたのだろうが、ようやく動き始めた。
根は下に向かって真っ直ぐに伸びる、しばらくすると根の付け根付近から芽が伸びてくる。
若芽の成長は脅威的に早い、1日5センチを超える速さで伸びる。
花壇を作る
午後5時30 外は夕闇に閉ざされる。
遠くの街の灯が瞬いて見えるのはなぜ
灯を包む空気は温度や気圧によって密度が変わる、密度が変わった空気は風になって動く。
動いた空気の後には。別の密度の空気が流れ込んでくる。
密度の違う空気の層は、光をほんの少しだけ捻じ曲げる、その時光は一瞬だけ迷子になる。
それじゃ 近くの光は瞬かないし、遠くても強く大きな光は瞬かない 何故?
8月27日に急逝した縁者の49日法要が営まれた。
外はもう秋色である、住職の読経を聞きながら、暑い最中の思いがけない出来事を思い出した。
仏の5歳の孫息子が妙に懐いて、私の膝の上で神妙にしている。
この家も今日で150年余の歴史を閉じる、実子であっても親子ではない娘たちに「この家に残っているもので、何か欲しいものがあったら自由に持ち帰ったほしい」と伝えた。
故人のアルバムに残されていた、自分たちの幼い姿の写真を数枚だけ持ち帰りたいという。
「父と母が何故別々の生活を選んだのか判りません、それが良かったのか、よくなかったのかも判りません、お母さんが亡くなった時本当に悲しくて泣きました。お陰様で父の臨終にも立ち会う事が出来ましたが、それは薄い悲しみでした。」
寝ている間に台風は穏やかに通過した。
あり難いことに、枕元に揃えた非常用の装具は出番がなかった。
昨夜12時ごろ、伸び放題の庭木の枝が窓ガラスを叩く音に目覚めた、雨は上がって、月光に照らされた木々の枝が時折大きく風になびいていた。
雲が忙しく動いて月を隠した、薄雲を透かして月影が早い速度で移動しているようにも見える。
昔々の「影踏み」遊びに興じたころを思いながら、月の移動をしばらく眺めていた。
今朝 西の空に満月が軽く浮いて、常念山脈にかかる台風の名残雲が朝日に赤く染まった。
嵐の前 少しずつ空が暗くなる コスモスはアンテナを全開する
四方を山に囲また地形が幸いして松本は災害の少ない土地柄である。
しかし 今度の17号に対しては強い危機感を感じている。
特に収穫期を間近に控えた林檎農家は神に祈る思いだろう。
台風の最接近は真夜中と予想される、風害と水害が懸念されるので、懐中電灯、雨具、スコップ等を用意した。
何事もなければよいのだが。
ノルウェーで見たゴトゴト
集落から入る里山の奥まった一郭に、村人がゴトゴトと呼んでいる場所がある。
山腹の斜面が大小様々な石で埋め尽くされた場所である。
林が突然途切れて、城の高い石垣が崩れたような不思議な光景が広がっていた。
ゴトゴトの下方は、大人の背丈をはるかに超える巨石が積み重なっているが、石は登るに従って段々小さくなり、最上部の林に接するあたりは、握りこぶしほどで、篩にかけて選別したようだ。
どうして、ゴトゴトの石群が生成されたのか、伝承はない。
多分昔々大地震があって土中の石が振るい出されたのだろう、それであるなら下方に巨石が集まる石の分類過程にも辻褄が合う。
更に言及すればゴトゴトは、山から巨石が転がり落ちる音である。
ゴトゴトの規模は何億倍もの違いがあるけれど、ノルウェーでゴトゴトを見てきた。
こちらの生成は氷河によるものとの説明があった。
、
あ
おみなえし
早朝 容態急変の連絡があり病院に向かった。
懸命な蘇生が施されていたが心停止は明らかだった「もう充分です有り難うございました」。
心臓マッサージが打ち切られモニターの拍動が直線になった。