インコ
エレベーターを出て客室に向かう通路の脇に広いロビーがあって、そこから聞きなれない鳥の鳴き声が聞こえてきた。
近づくと 窓際に鉄格子と金網で造られた堅牢な鳥籠があって、その中に一羽のインコ?がいる。
こんな頑丈な鳥籠は見たことがない、よほど凶暴な鳥だろう。
しばらく見ていたが微動だにしない、大きなエネルギーを持つ造り物かもしれない。
前日 故宮博物館の人間技と思えない精緻な展示物を見学してきた。
インコ
エレベーターを出て客室に向かう通路の脇に広いロビーがあって、そこから聞きなれない鳥の鳴き声が聞こえてきた。
近づくと 窓際に鉄格子と金網で造られた堅牢な鳥籠があって、その中に一羽のインコ?がいる。
こんな頑丈な鳥籠は見たことがない、よほど凶暴な鳥だろう。
しばらく見ていたが微動だにしない、大きなエネルギーを持つ造り物かもしれない。
前日 故宮博物館の人間技と思えない精緻な展示物を見学してきた。
月に向かう光跡(枠内) 撮影時は気付かなかった、最初はゴミかと思った。
シャッタースピード約1秒
連写した次のコマで飛行物体と確認 多分人工衛星だろうと推測する。
8,000個程の人工衛星が地球をまわり、使命を終えて宇宙ゴミとなった物を含めると1万数千個の物体が回っているといわれる。
夜空に向かってシャッターをきれば、必ずなにかが写る時代になったということらしい。
そんなこと 全く知らなかった。
外国に行って困ることは言葉の壁である。
台湾では母国語のほかに、多くの人が英語を話していた。
今度の訪台では、私以外は英語に堪能であったから、日本英語と台湾英語で交流し不自由なく話し合いが進んだ。
帰国して礼状を書く段になり、急に台湾語(中国語)で書きたいと思うようになった、目で見る限り台湾語と日本語は共通点が多い。
幸いなことに、台湾からの留学生がアジア賞作文コンテストに応募している。
早速大学を通して、その応募者に翻訳を依頼し快諾された。
日本語の勉強になるからという。早速下書きを書いて渡したから、近日中に翻訳文が届く筈である。
台湾桃園クラブの甘 錦煕会長、廖 素玉副会長の吃驚する顔が目に浮かぶ。
月と山脈と街の灯
屋外の温度計は氷点下5度をしめしていた。
午前6時 満月は槍の穂先に向って吸い寄せられていった、それは月が強力な磁力に導かれるようにも見えた。
詳しい事は判らないが、そう頻繁に起こる天体現象ではない事は想像できる。
画像として記録できたのは実に今回が初めてである。
正確には今晩の12時に月は真円となって満月となる。
これから後 4回目の満月ではおぼろ月夜が見られるかもしれない。
野柳海岸の奇岩群
野柳は初回訪問とばかり思っていたけれど、特異な風景の中を歩く間に少しづつ記憶がよみがえってきたが確証までは至らなかった。
帰国して古いアルバムを手繰ると1983年頃会社の研修旅行でこの地を訪れている証拠を見つけた。
現在は整備され名声高い観光地となり、各種の施設とあいまって、広い駐車場は大型バスで埋め尽くされていた。
当時は砂埃が舞う駐車場でバスを降りると、土産を売る大勢の人に囲まれた、ガイドさんからは絶対に買ってはいけない、買ったらバスに戻れないという。
彼等のテリトリーは駐車場の中だけで、海岸に出る事はしなかった、人影のまばらな海岸は別天体を思わせる空間が広がり、初めての異国をゆっくり堪能した。
しかし、帰りも売り子の集中攻撃を受けた、ポケットに絵葉書を強引に突っ込んで買えと迫られる人もいて、ようやくの思いでバスに避難した事も思いだした。
台湾では全く変わらない景色と、30年という短い間に大きく変わったものが見えた。
朝の屋台街(森林北路)
台北の有名な夜店街を歩くことは出来なかったが、朝の時間帯に別の場所を歩くことができた。
朝食を食べる屋台や八百屋さんは既に開店したいたが人影はまばらである。
20年前のようの街を埋め尽くす人ごみはなかった。
雨上がりの露店街を闊歩する犬がいた。
パパイヤと黄葉(ダンコウバイ)
福岡旅行の帰路 空港の近くに住む隼人君に、博多大宰府天満宮で求めた合格祈願のお守りをとどけた。
その時丹精のパパイヤを見せてもらった、なんと2年で1メートルを越え、来年は収穫が見込めると自信を持っている。
ひきかえ当家のパパイヤは精彩を欠く。それは気温が下がって休眠期に入っているのだから心配ないと慰められた。
ダンコウバイが落とした黄葉で囲った、パパイヤの緑が蘇えったように見えた。
今日から4日間の台北訪問に出る。
台湾桃園(タォユェン)ワイズメンズクラブと姉妹提携のための打合せ会である。
滞在中の天候は曇りか雨となっていて、日本では雨降って地固まると縁起を担ぐ人もいる。
私はパパイヤ畑が見られたらいいなと思っている。
柿花火
熟し柿は二日酔いの妙薬 飲酒後一つ食べると朝の目覚めがさわやかになる。
最近、柿のお世話になるほど飲む事がなくなった。(飲めなくなった)
霜の朝 蜂屋柿(渋柿)の大木は葉を落としつくした。
葉の茂みに隠れていた柿は思ったより大量で、大輪の柿花火となっていっせいに躍り出た。
蜂屋柿は柿の名門らしく、それを冠した産地は全国に分布しているようだ。
我家の蜂屋柿は、祖父が小柿を台木に接ぎ木し今日に至っている。
近辺の柿は切り倒されて、祖父の蜂屋だけが残っている。
食物としての柿の効能が最近見直されているらしいが、木登りして収穫するのもおっくうだ。
仮に収穫できても食べてくれる人がいない。
しばらくは冬空に柿花火を鑑賞し、雪が積もる頃 野鳥に饗する事になる。
柳川の水路は変化に富んだ迷路である、身をよじる様にして通る狭隘な石積みの間を抜けたかと思うと、両岸に黄葉の柳並木が連なる大川に変身したりする。
地形上、陸路は至るところで水路に阻まれて、徒歩者は不便この上ない。
昔 知恵者がいて要所に橋を造り、銭を徴収して財をなしたという。
川岸のお屋敷にサボンがたわわに色づいている。
もうしばらくするとザボンは熟れて水面に落下する、その落下音が命名由来であると船頭が真顔で云った。
船頭は長い竹竿1本で巧みに舟進める、曲がるも止まるも速度も竿1本。
川底に突挿した竿を押した反動で舟が進む、優雅なアメンボにも見えるけれど体力勝負、川に落ちた事は数えきれないという。
水深は1メートル前後、歩ける人なら落ちても心配ないと客は救命胴衣を着用しない。
重厚な石積みも塀の海鼠壁も何となく近寄りがたい。
午前中の激しかった雨が昼食の間に上がり、時折雲の切れ目から薄い日が射して、一同から思わず歓声が上がった。
それでも船頭さんのはからいで、テルテル坊主のような奇妙な形のビニール製貫頭衣型雨合羽を纏って乗船した。
この貫頭衣は風よけに効果があり、その上この濠に住む河童の悪さから我々を守ってくれた。酔っ払いが時々川に引きづり込まれることがあるらしい。
どんこ舟に二列に行儀よく並んだ、10人の坊主は互いのユーモラスな出で立ちに笑い転げた。
この掘割は昔柳川城の濠であったという、船頭は細い竿一本で船を自在に操る、海鼠壁の影を水面に映す米蔵の連なる脇を抜け、領主の別邸である瀟洒な洋風建築が立つ広大な敷地をぐるっと巡った。
諏訪湖の四手網に似た漁具
船客のために時々網を上げるという この水辺に魚影は濃く、いろんな魚が揚がる。
どんな魚が捕れるのですか?
「そうさなあ ここに住む魚は全部捕れるわ」
捕った魚は食べられますか?
「そうさなあ わしらと同じで、煮ても焼いても食えんでしょうよ」