雨の長崎平和公園
資料館で幼い妹を背負った、はだしの少年の写真を見た。
仮設の火葬場にたどり着いた少年は、背中から妹を下ろし、そこにいた大人に無言で差し出した。
妹を焼く炎に照らされた少年の強く噛みしめた下唇に、薄く血がにじんでいた。
私と同じ年代の少年である。
オランダ風景 ハウステンボス遊園地
蝶々夫人
軍艦島遠望
資料館のみ見学
雨の長崎平和公園
資料館で幼い妹を背負った、はだしの少年の写真を見た。
仮設の火葬場にたどり着いた少年は、背中から妹を下ろし、そこにいた大人に無言で差し出した。
妹を焼く炎に照らされた少年の強く噛みしめた下唇に、薄く血がにじんでいた。
私と同じ年代の少年である。
オランダ風景 ハウステンボス遊園地
蝶々夫人
軍艦島遠望
資料館のみ見学
JR原宿で下りて会場までのケヤキ並木を10分ほど歩いた。
若者と外人さんが多かったが、気を付けて見ると、背筋をピンと伸ばした高齢者も結構歩いている。
強い日差しを遮るケヤキの並木が快かった。
表参道 ケヤキ並木
青山のピーターラビット
小さな子供たちが群がった中心に、兎に紐をつけて散歩している人がいた。
田舎から出て行った私も久しぶりに生きている兎を見た。
スカイツリー 東京ビッグサイト 記念艦三笠 軍港めぐり ヌードルミュージアム 三崎フィッシャリーナ・ウォーフ
を回る二泊三日の旅
少しずつ色がのってきた紫陽花
昨日 3.5時間の走行予定で高崎に向かった。
松本ー佐久の一般道を1.5時間 高速を使った佐久ー高崎を1.5時間と読んでいた。
職場の関係団体で懇意に付き合っていた人たちとの懇親を深めることにある。
電車でゆく予定が、急遽自車に変えた理由は、比較的近距離なのと自由な時間設定ができることだった。
そのもくろみは半ば的中し、半ば外れた。
走行道路に混雑もなく、梅雨の晴れ間を快適に走って、高崎インターを降りるまでは己の選択の正しさをほくそ笑んだ程だった。
しかし 高崎市内に入ったころから、私の脳にインプットしてきた地形と実際が乖離しはじめ、高崎駅周辺で完全に方向感覚を失てしまった、記憶で左側にあるべき建造物が右側に建っている。
道路端に車を止めて通行人に目的のビューホテルを訪ねると、なんと180度違う方向に向かっていたのである。 「こっちえ進んだらますます遠くなりますよ」とその人は呆れ顔で苦笑した。
記憶に刷り込んだ地図を、知らない土地で地形の180度の修正は難しく。ますます頭が混乱してしまった。
夕刻ラッシュで車が混みはじめ、一方通行や車線の規制に右往左往し、集合約束時間が迫り、歩行者がうらやましかった。
結局は心配した地元の主催者から携帯電話があって、彼の的確な誘導で、10分遅れで到着できた。
後で聞くと、ホテルの周囲ををぐるぐる回っていたらしい。
、
サイゴンの菅笠
これからの農作業に愛用する予定
夏至 五月雨 沙羅の浮花
夏至を一年の折り返し点と思っている。
まあ いってみれば 毎日が折り返し点でもある
スケジュールの中にベトナムの民族衣装アオザイを着た記念撮影コースが設けられていた。
女性だけの特別コースと思ったら男性用も用意してあった。
和服と違って着用は簡単である、まずズボンをはき、両脇が切れ上がったワンピース状の着物を着て右側面をボタンで留めれば着付けの終了である。
一生の一大事として同行の男4人が記念写真に納まった。
総じて美味しいものを食べ過ぎたらしく腹が膨らんでみえる。
ホテルから2時間程のメコンデルタで手漕ぎボートに乗った。
漕ぎ手の二人は船の前後に座り、オールで巧みに、あるいは強引に船を操る。
狭隘な水路では時々小舟がひしめき合うこともあるが、船頭同士が怒鳴りあうことは一度もなかった。
証拠写真 50万札10万札の山?
1万円の両替で2、221000ドンが還って来た。
なんと222,1倍である。 しかし使う時の足は速い。
タクシーメーターは1000単位で表示される、たとえば7と表示されたら7000ドンである。
ちなみに日本円換算は土曜日のレートで7000ドンは約350円である。
花巻バラ園
見ごろにはまだ間があるが、新緑にバラが匂い立つ
釜淵の滝
釜底上の岩盤を緩やかに流れ落ちる釜淵の滝
天候にも恵まれ素晴らしい東日本区大会であった。
少しだけど宮沢賢治の心に触れられた思いがした。
また訪ねたい。