雪が消えると春を待ち切れずに田の土手にフキノトウを探しに行ったものだ。
枯れ草の間に張り付いたようなフキの枯葉をたどると、まだ薄紫の冬衣に包まれたままの小さなフキノトウがあった。
日毎に気温が上がり、しばらくすると、日当たりのよい窪地に充分成長したフキノトウが見つかるようになる。
凍土が溶けて白く乾いた農地に裏作の麦が伸び始め、緑肥となるレンゲ草も、雀のテッポウ等の雑草も一斉に緑を増して生き生きしてくる。
長い冬から解放された高揚感があって、そろって野に出るだけで楽しかった。
雪が消えると春を待ち切れずに田の土手にフキノトウを探しに行ったものだ。
枯れ草の間に張り付いたようなフキの枯葉をたどると、まだ薄紫の冬衣に包まれたままの小さなフキノトウがあった。
日毎に気温が上がり、しばらくすると、日当たりのよい窪地に充分成長したフキノトウが見つかるようになる。
凍土が溶けて白く乾いた農地に裏作の麦が伸び始め、緑肥となるレンゲ草も、雀のテッポウ等の雑草も一斉に緑を増して生き生きしてくる。
長い冬から解放された高揚感があって、そろって野に出るだけで楽しかった。
松本標準桜?
真偽はともかく松本の達人によれば開花宣言はこの桜から発信されるという。
南風が吹いて濠にさざ波が立っていた。
二日ほど続いた陽気に桜の蕾が膨らんで見える。
総合的判断で、今年は4月14日頃の開花を予想した。
通勤路に連なる土手の緑が日毎に濃くなってくる。
休むことを知らない植物の旺盛な成長力に押されて、雪に覆われていた土手が深い緑に変わるのももうすぐである。
まだ明るさの残る西空に、影絵のような山塊がくっきりと写し出される。
私は一番星を探すのが早かった
物心ついてからずっと眺めてきた風景である。
勿論 毎日出会える景色ではないけれど。
私は知らないけれど、多分 この景色は何百年何千年も変わっていないだろうと思う。
変化が激しくてついて行けないと云う人がいて、私もその一人である。
しかし 何がそんなに変化しているのだろう。
価値観が変わったというけれど本当にそうなのだろうか。
美しいものは美しい、喜びや悲しみの原点まで変わってしまったとは到底思えない。
回転陽極X線管(フィリップス製)
少し拡大
最新の回転陽極X線管がどんな形か知らないけれど、基本はこの形状を踏襲していると思う。
名古屋の大手医療器械ディラーから戴いた物は、クラシカルなX線管を利用したトロフィーであった。
そのメーカー製品の販売功績により受領したという極めてユニークなトロフィーである
このX線管の円盤(回転)陽極に残る電子の衝突した痕跡を見れば、この管の活動した歴史が忍ばれる。
一寸解説すれば、高真空のガラス管の中で、左側の円筒に直線に刻まれた溝から飛び出した電子ビームは、数万ボルト以上の高圧に加速され、右側の円盤(陽極)に衝突する。
その時放射されるのがX線である。
この現象はレントゲン博士によるX線発明当時と全く変わらない。
日常の中で 蛍光灯光源では影絵遊びができない様に、X線も小さな点から放射される程線質(解像力)が上とされる。
何となればX線像は、X線の影絵である。
しかし円盤上の微小な範囲に、集中して強力なエネルギーを持つ電子が衝突したら、どんなに融点が高い金属材質を使っても短時間で溶解しメルトダウンしてしまう。
そこで考えられたのが円盤を高速で回転させる技術である。これにより衝突面積は見掛け上飛躍的に拡大する。
様々な試行錯誤の末、それを世界に先駆けて実用化したのがフィリップスである。
金曜日 月曜日 木曜日が並んだ
金曜日 月曜日 街曜日
昨夕 常念が見える窓から三日月と二つの明星が直線に並ぶ天体ショウが観察できた。
時間と晴天に恵まれた事を幸運に思った。
昨日 出張先でいただいた大変珍しいものが今日届いた。
当日持ち帰りたかったのだが、重量があるからとのご配慮をいただき、宅急便に託してもらったものである。
これが医学の進歩に著しく貢献した事を知る人は少ないだろう。
白木蓮
名古屋出張日 寒風に身を縮めて、何で今年はこんなに寒いのだと愚痴りながら一番電車に乗りこんだ。
手の届くところに来たと思った春がまた遠のいてじらされる
降りた名古屋も風が冷たかった。
会議は予定より早く終わり、帰りに寄った鶴舞駅の切符売り場でカウンターに花を飾っているご婦人がいた。
一瞬 菜の花を思わせる鮮やかな黄色でである、聞くとミモザだという、季節の花を飾るボランティアさんらしい。
鶴舞公園の桜の蕾は例年になく堅いといっていた。
会議場の飾棚に大変珍しいものが飾ってあった、医療機器のビッグメーカーから贈られたという。
ボスに「良かったら持って帰って」といわれてあっけにとられた。
春の先触れか強風が吹き荒れて、松本市南西部の畑作地帯から表土が吹きあげられた。
地域限定の黄沙である。粒子が大きいのだろうか、風が止むと収まりも早い。
セントポーリアが季節に反応して,南国の鳥の様に深い色合いの花を開いて蘇生した。
昨日は枯葉の中に芽生えの兆しすら見当たらなかったアヅマイチゲが、今朝は枯れ草を葉に絡ませて風に揺れていた。
ずっと昔から雪が消えるとこの花を探しに枯野に出かけたものだ。
この小さな花に出会えるといつも心のすき間が満たされる花である。
今年は満たされた心の底にまだ小さな風が吹いていた。
バス停に向かう道は、坂を下って橋を渡り、今度は坂を上って谷越えをする。 振り返ると我が在所。
田園の中を行く 西方に雪の常念山脈が連なる
桐原バス停で5分程待つと松本に向かう通勤バスが来た。
道幅が狭いからバスが大きく見える。
車内は閑散 お客は何故か左側に乗っている。バランスを考えて私は右側に座った
バスは後ろから乗って前から降りる、乗車券を示して運転手さんに料金を聞く 「丁度300円です」 料金箱に硬貨を落とした。
よし町でバスを降り、150メートルほど歩く。 在職50数年で通勤でバスに乗ったのは10回もないだろう。
貴重な体験であった。
忘れ草の角芽が日毎に伸びる 。
早く摘まないと適期を逸してしまう、毎年同じ思いを繰り返す。
ものの本によると、若芽を食べると美味しくて憂いを忘れると書いてある。
更にこの植物は種子が実らない、畑のまわりのたくさん野生化しているのは、かってこの畑地で栽培さてていた名残だろうと続く。
それほどに旨いものであればと思うけれど新芽の成長は驚くばかり、いつも適期を逃してしまう。
早春の針の木岳